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2011年12月 8日 (木)

「主治医」であるということ-主治医と地域連携コーディネーターの二人三脚―高知・和田医師、愛媛・谷水医師の発言から考えたこと

たとえば藤田保健衛生大学の山中克郎医師のような総合診療のスーパースターと呼ばれる人たちを何人も呼んで講演会を開いて、さらに懇談したり、もっと若い家庭医、総合医志望の人たちと話すとことはそれなりに機会があったが、そのつど僅かな違和感を感じてきた。

というのは彼らが「診断の総合性」(初療で正しい方向に診断できること)に重きを置きすぎて、心理的な面、社会的な面を加えた診療の総合性が忘れられがちではないかという感じがしたからである。(―とくに山中先生がそうだというわけではなく、わずかに感じられる一般的傾向としての話。) あくまで医学生物学的な相bio-medical phase (stage)でのみの総合性がめざされているということだろうか。 

民医連医療2012年1月号の校正段階で届いた高知・あおぞら診療所 和田忠志医師の文章を読むと、彼も同じように感じていたことが分かる。

彼の発言を正確な引用でなく、思い切り僕流に表現するとこうなる。

「家庭医療や総合医療が脚光を浴びたが、頑張って技術習得に励むことは、家庭医というステータスを目指す医師の関心にすぎず、患者の関心に根ざしたことではない。

 それに対して、自分と患者との間に作られる関係性の中に総合医の本質を見い出したい。そして、そのような総合医の本質を『主治医』と呼びたい。

 私は『主治医』になりたいのだ。

 家庭医療や総合診療の技術・技能は、主治医を務めるための必要な要素であるにすぎない。」

そういう彼が今強調しているのは「地域連携コーディネーター」の重要さということである。
前日も書いたが、僕がこれまでずっと強調してきた、病院や経営主体の壁を越えた地域連携室の役割をさらに発展させる概念として注目したい。
 
 なお和田医師の文章には、四国がんセンターを舞台に、患者をどんどん在宅に返すことで回転がとても早い緩和ケア病棟を作った谷水医師の提唱する癌緩和ケアのクリティカル・パスへの言及がある。

 谷水医師の書いたものを少し読んでみると、地域連携コーディネーターなしに、癌の地域医療のクリティカルパスは成り立たないと彼が考えているのがわかる。主治医と地域連携コーディネーター、この二人の二人三脚で、地域包括ケアによる脱医療化の深化に抗する地域医療のコアが出来上がるのだろう。

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