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2011年11月30日 (水)

日本の医療のグランド・デザインができる多数の総合医が必要だ

今回、民医連が開いた検討会はユニークな意味合いを帯びていいた。

これまでは、僕自身の民医連病院開設の経験からいっても、何人かの若い医師が集まり、それぞれのアンテナで自分の専門科目を決め、こんな医療活動の特色を持った病院を作ろうということを決めてきた。病院が出来上がった後も、そこに集う医師の専門研修希望に基づいて病院発展の方針を作った。

(それが購入する医療機器の優先順位の話に矮小化されることも多かった。声の大きい科長がいる循環器科はこんなに予算を使っているのに、俺の呼吸器科にはごく僅かしか回ってこないという愚痴は多くの病院で聞いたものである。)

医師個人は、自分の専門研修希望には地域の医療需要の反映があると思っていることが多かったが、結局は主観的なものにすぎなかった。「地域の医療要求に従って自分の専門を選ぶ」というスローガンはあったが、現実性は乏しかった。したがって、地域の需要と選ばれた専門性は一致することもあれば外れることもあり、一致した人はローカルな意味でスーパー医師ということになった。それを「医師主導」の発展様式と呼んでいた(笑)。

ただし、全体として突飛な選択は行われなかったから、1960-70年代の全国的な病院拡大の時代傾向のなかで民医連の病院もたいていまずまずの発展を遂げた。この状況を見て供給が需要を掘り起こすのだとさえ言いきる人もいた。(さらに笑)

しかし1980年代以降は社会保障・医療保障の削減、病床の縮小が政府の明瞭な政策となり、医療内容と地域の医療需要とが合致しないでは病院の維持が難しい時代となった。医師の主観的希望にそって病院設備の充実を図って大宣伝しても利用者は約束されないようになった。政府の政策に反攻していくためにも、病院は地域の医療需要を見据えた経営基盤強化を第一に考えなければならないところに追い込まれた。これに、なぜかミッション・ヴィジョン・ポジションという言葉を当てはめて何か大変重要なことのように担ぎまわる人が全国にたくさん現れた。僕はそれに「立ち○○○」という一語も付け加えておいたのだが、全く品性のないことではあった。

(僕が?それとも流行り言葉が?)

そこで今回の民医連の検討会は、現在の日本の医療情勢が求めている医療活動について、本格的に、すなわち可能な限り客観的に迫り、それに応じた医師の養成計画の転換を展望するものとなった。そういう意味で冒頭書いたようにユニークだったのである。

「地域の医療要求に従って自分の専門を選ぶ」というかってのスローガンを本物にする試みだったと言ってよい。

その検討会が終わった後、その首尾とは全く別に僕が今考えていることをここに書いていきたい。

というのも、検討会の感想文など読むと、検討会の首尾という点では、僕が期待していたのには程遠い水準で議論が終わっているから、このままではやりきれない気持ちになるからでもある。

マーケッティング・リサーチなどという皮相で表面的な医療需要の検討ではなく、国民の健康を深いところで決定する要因に迫り、その要因に正面から向かい合う医療活動とは何かを探り当てることが第一の大課題となる。

そこには三つの要因が浮かび上がってくる。

①貧困と格差の増大が国民の健康を決定する最大の要因であり、それに対してはどのように政策的に着手していくべきかは、WHOの「健康の社会的決定要因委員会」のレポートがすでに明らかにしており、イギリスにおけるマーモット・レビューという格好のモデルさえ差し出されていた。

②超高齢社会の到来に対して、脱医療化・脱医師化という政策がぶつけられてきたことである。ヨーロッパでは、自分の口で食べられなくなった場合には社会的に餓死が受容されているという話がまことしやかに流され、医療必要度の高い要介護高齢の安楽死に向けての世論誘導が活発になった。

③障害者福祉を求める運動は、生存さえしていればいいという目標から、よりよい生活の質QOLを求めることが人権だという認識を国民的なものとすることに成功した、ノーマライゼーションという言葉の普及もその一環である。

これら三つのことは、健康や障害のとらえ方の変革に根ざしていた。健康が国民にとって最大の価値を持つようになり、障害が最大の不幸となったのは、国民が労働力を自らが持つ唯一の商品として市場に差し出さねば生活できなくなった資本主義の深化によるものなのだから、国民としては健康の維持や、障害に対する保障を最重要課題として闘争せざるを得なくなり、それは時代の価値観として確立したのである。そしてQOLは単なる治療の成功を超えて医療にとっても最終的な目標となった。

そして、これら三つの要因を解決しようとする僕たちの政策は、政府側の「税と社会保障の一体改革」の対抗政策とならざるを得ず、それは「新しい福祉国家の創造」と呼ばれるものだった。

「新しい福祉国家」の政策の背骨は憲法9条・13条・25条の発展として構想された「日本社会保障憲章」案であり、より具体的には「社会保障基本法案」である。

その構想の中枢に位置する基本的人権の名前は「健康権」であり、それはこれまで知られてきた生存権を包含しながら、憲法25条の時代的制約性やそれを悪用した「社会保障は最低限保証でよい」論を論破・克服するという意味合いを持っている。

そこで、地域の医療需要は、健康を侵害する社会的要因の克服をめざす政策と、それに結び付く医療活動として構想されなければならない。

それは、たとえば医療アクセスの不平等であるなら、(健康保険制度の改善や地域医療制度への住民参加という医療活動には含まれにくいものを除いて)医療機関による救急医療制度の連携を超えた自治などが総論的目標としてあがる。

それを僕は「地域医療の自治と自律」と呼びたい。かって提唱された「地域医療の民主的形成」を今日的に発展させたものである。

また、各論的には、地域における保健活動の強化がテーマなら、病院が持つ機能がどうしたら地域の保健サービスに転化できるか考えることが目標になるだろう。病院給食室の機能を利用して、低所得の高齢者向け食堂を運営することなどは実例がある。医療界以外でも、企業が管理栄養士のいる社員食堂を地域に開放して喜ばれている時代なのである。

たくさんある各論のなかでも在宅医療は思い切った強化が必要である。

ここ10年はこれがすべての医療活動の中心といって過言ではない。

脱医療化に対抗して、医師や病院がなければ在宅医療が不可能だということを国民の常識にしないといけない。医師がいなくても病院がいなくてもそれなりに地域のケアは成り立つのだということになれば、上に述べたように高齢者保護の放棄というに等しい消極的安楽死が地域に満ちるだろう。

B 

それ以上具体的な医療活動構想について詳しく触れる準備はないが、それが明確になったとして、次の段階はそれを担う医師集団の養成が第二の大課題である。

これは言うまでもなく、地域医療に生きがいを感じる総合医の大量育成ということに尽きる。

それも全国的視野を持って医療全般に建設的提言ができる、そのための言説活動ができるということを総合医の特性の一部だと考えたい。

となれば、研修内容としては、6-10年位かけて北海道から南西諸島に及ぶ地理的な広さ、大都市圏の大病院から離島の診療所までの質的な多様性を備えた勤務経験、そして短くてもいいから政策活動能力を養う経験(厚生労働省の官僚はハーバード大学の公衆衛生大学院によく留学しているが、それに相当する経験)を付け加えたものにしたい。

個人的にはキューバの保健省留学など面白いと思っている。

それとも徹底的に小さな地域にこだわって、2次医療圏内の全部の病院や診療所に関わり、県の専門部局に出向するというのも悪くはない。

そういう総合医を大量に育成して、将来の彼らが各地の中小病院、「地域医療の自治と自律」の先頭に立てば、新しい福祉国家構想のもっとも強力な担い手になるのである。

以上。

・・・数日来、疲労が激しく、熱感もある頭で書いたので、乱暴な文章になった。

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