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2011年11月 1日 (火)

なぜ生存権から健康権へと、社会保障の根拠となる基本的人権の概念変更をするのか

きわめて粗い標題をつけてしまったが、診療の合間に備忘のために急いで書いているので許されるだろう。

理由は二つある。

一つは「健康の社会的決定要因」を探求する社会疫学によって、健康を確保するため必要なのは、個人的努力よりも、社会的な環境整備であり、それは広範な内容を持つ社会的人権なのだということが明確になったことである。

もう一つは、上記のことから発展して(=視点を逆にしてみると)、健康の平等・公平さこそが、人間の正義と幸福にとって必要なあれこれの要素の一つ、すなわち具体的なあれこれの基本的人権の一つではなく、むしろその根幹そのものであることが見えてきたということである。医療の目標が生物学的生命の確保=生存でなく、人生の質QOLへと発展して多くの医師を戸惑わせているのも、このことに関連している。

もちろん生存は健康であることの前提で、戦争直後の日本、現在のアフリカや先進国の最貧層ではともかくも生存を確保する権利が強調されてきたのだが、理念的にはそこにとどまることは許されなくなったのである。

これを憲法上根拠づけるのは、憲法13条と25条の現代的解釈である。 すべての基本的人権の根幹に健康権があるのだ。

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