« TPPと医療安全・・・商品化する医療サービスと富裕層の侍医化する医師による医療安全とは・・・アメリカの現在が日本の未来だという話 | トップページ | 猪飼周平講演の感想を保険医協会会報に寄稿 »

2011年11月11日 (金)

猪飼周平「歴史的必然としての地域包括ケア」雑誌JIM2011年6月号・・・猪飼君はもっとはっきり自分の主張を述べなければだめだ

週1回勤務している診療所で、偶然、そこの所長が積み上げている雑誌の中からこの小さな文章を見つけた。

「病院の世紀の理論」有斐閣2010が広く注目を浴びたためだろう。

この文章は、その本の要約にはとどまらず、政治観、歴史観に触れているという意味で興味深い。

○は引用あるいは要約。*は私の感想。

○自分は「ヘルスケアが病院医療中心のあり方から地域包括ケアへ移行すべきだと主張しているのでなく、地域包括ケアへの移行が、(歴史的に)必然的だと主張している」のだ

○社会運動や、政治家への働きかけ=ロビーイングで政策を動かしていくことができるという政治観には反対だ。

なぜならその政治観によれば、政策決定は利害や理念のぶつかりあいの結果でしかなく、当事者の行動や偶然でどちら家に向くということにしかならないし、これが歴史観に拡張していくと、その時々の政治的決定がヘルスケアの実態や政策を決定していくということになり、歴史的考察は無意味だというニヒリズムになるからだ。

この歴史観では「未来を決定する要素は、出発点としての現状とそれを変化させる今後の政治的決定のみであるということになるので、未来を考えるために過去を」振り返る理由がなくなってしまう

この歴史観では「時間の流れのなかにこめられた重要な力を見落と」すことになってしまう。

○歴史の必然とそのときどきの政策の進行は、線路と列車の運転手の関係に似ている。その時々のスピードや脱線の危険性は運転手に任されているが、行き先は線路が決めている。

○「このような世界観はマルクス主義に典型的にみられる。」「ただし、私の提示した社会理論は、マルクス主義とは土台を共有していない。「私の理解では、マルクス主義を含む経済還元論によっては、20世紀の医療のあり方を説明することはできない。」

*では猪飼君は病院の世紀から地域包括ケアの世紀へと、社会の価値観が大転換した理由をどう説明しているだろうか。病院中心の医療は成功し、これからも課題は十分あるのに、社会は病院医療を置き去りにずっと先に進んで行ってしまったのである。

実は、その説明はなく、生存よりもQOLを重視する考え方は、超高齢者社会からでなく、障害者ケア論から始まっている、すなわち、それは医療の外から来たと言っているだけである。確かにノーマライゼーション の議論は医療から内発的に生じたものでなく、障碍者福祉からやってきたのである。

当面は現象を記述したレベルのそれでよい、と彼は思っているのかもしれない。では、なぜ、マルクス主義が早々と否定されてしまうのかがわからなくなる。猪飼君はもっとはっきり自分の主張を述べなければだめだ、と僕が思うのには根拠があるといってよいだろう。

*病院の世紀から地域包括ケアの世紀への大きな変化は、やはり社会の変化の反映である。

利潤を最優先する経済侵略と戦争の時代から、それを規制して人権を最優先する時代への胎動が、いち早く医療と福祉の世界では先鋭化しているのである。病院医療は工場生産と軍隊組織の時代を反映し、在宅医療は憲法13条で保障される個人価値優先主義の時代に照応すると言えばいいすぎだろうか。 それは別にマルクス主義と矛盾するわけではない。

そしてさらに、僕としては「医療と福祉の世界は、経済の世界と理念の世界の中間にある」という当たり前のアイデアを発見する。

|

« TPPと医療安全・・・商品化する医療サービスと富裕層の侍医化する医師による医療安全とは・・・アメリカの現在が日本の未来だという話 | トップページ | 猪飼周平講演の感想を保険医協会会報に寄稿 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 猪飼周平「歴史的必然としての地域包括ケア」雑誌JIM2011年6月号・・・猪飼君はもっとはっきり自分の主張を述べなければだめだ:

« TPPと医療安全・・・商品化する医療サービスと富裕層の侍医化する医師による医療安全とは・・・アメリカの現在が日本の未来だという話 | トップページ | 猪飼周平講演の感想を保険医協会会報に寄稿 »