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2011年11月16日 (水)

含羞の人:唐鎌直義「講座 どうしたら貧困をなくせるか」雑誌「」2011年12月号・・・資本主義でこそ、健康の意味が限りなく大きくなる、価値観の大きな変化が障害者福祉領域から起こったわけ・・・労働者として生きる覚悟を決めろ!!

たった一度聞いただけだが、唐鎌氏の講演は面白い。威張ったところが全くなくて、講師という、聴衆より高いところに身を置いていることを恥ずかしがったり、同時に面白がったりしているところがあって、偉そうなことを言わなければならないときは笑って冗談にしてしまおうとする。それで少し聞き取りにくくなる。

その唐鎌氏が5月に学生向けにした講演の記録が、上記の雑誌に載っていて、これは一読巻を措くを能わず、という面白いものだった。

それは実際に読んでみるしか分からないことなので、ここでは要約ではなく、僕の連想の方を記録しておきたい。

*資本主義は商業資本主義として始まったが、産業資本主義となることで本格的な発展を遂げることが可能となった。それがイギリスがスペインに勝利した理由でもある。近年、金融資本主義になって再び商業資本主義にもどったように見えたが、アイスランドの「金融立国」が破綻したように、それは表層的な見方にすぎなかった。現代資本主義の商業資本主義の側面の強調、生産者としてより消費者としての労働者階級の立場の重視は柄谷行人に著しいが、唐鎌氏はここでそれに反対しているように見える。

*猪飼周平氏が、治療医学優先からQOL優先へと患者意識の大きな変化が、治療医学の大成功にもかかわらず医療の外で起きた、その変化の理由が分からず医師は茫然自失としているという意味のことを言っているが、その理由のヒントがここでは述べられている。

それは障がい者福祉領域からおこってきた議論だったのだが、障がい者問題こそ、資本主義が世界を覆い尽くすときにこそはじめて顕在化するものだからである。裏返せば、健康は資本主義の時代にあって限りなく意味が大きくなるのである。

人々が資本家から雇用される以外に生きていけない条件にある歴史的社会にあっては、健康喪失や障がいが生存の最大の障害となり、健康が最大の資源となる。それは他の時代にはなかったことである。 この人が障がい者だと決めるのも、ある心身の状況があれば資本家が雇わないということが本質であり、そもそも労働力の売買がない豊かな世界では障がい者という言葉も概念も存在しないはずである。。そこにあるのは必要な具体的ケアの認識のみである。

したがって資本主義の雇用する側の論理を超えて、資本側が名付ける障がいがあっても、治療が成功せず健康でなくなっても、平等に尊厳を持って生存する権利が保障されるということこそ、資本主義の時代の人間の最大の要求になるのである。

大きな価値観の変化が、障がい者福祉という一見小さな領域から起こって時代を覆い尽くしたのは当然のことだったのである。このことが超高齢者社会に適用されることは極めて幸運だとしか言いようががなく、品川正治さんがいうように日本の経験が世界の希望になる根拠もそこから生じる。

*貧困格差をなくすための唐鎌氏の処方箋は、なんといっても労働者が団結することである。

そのために労働者間に意図的に作り出されている競争圧力をどうしたら緩和できるかということが、大きな実践的な問題となる。①労働組合の価値を見出すこと、②社会保障を厚くすること、③政策的失業者づくりを許さないこと、④資本家から植えつけられた勤勉と吝嗇を旨とする価値観を捨て、フランス並みの労働観をもつことが重要になる。

「資本家階級でもないのにあまり資本主義を良い社会だと思いこまないほうがいいですよ。それよりも『労働者として生きる覚悟』を決めた方が絶対にいいです」

*貧困の原因を、怠惰、浪費、悪習、注意不足という個人の行動にもとめ、その変容を図ることで解決しようといういわゆる認知行動療法が「自立支援」の中心技法になっていることは、唐鎌氏にとっては真の原因解決を妨げることでしかない。

これは医療安全を個人責任とする立場と、システムの不備とみる見方との対立に似ていて面白い。

自己責任論にとらわれるかどうか、という点で、深くつながったものなのだろう。

貧困の中で、飲酒・パチンコという刹那的快楽でしか喜びを見いだせなくなることを「個人的悪習」とせず、「貧困のなかでの人間的欲望の矮小化」という視点でとらえる姿勢は深く学ばなくてはならないだろう。

225ページで、「「金、知、美」の崇拝という資本主義的価値観」という言葉が出てきて、美しいもの、知識欲を満たすものにひかれる自分の傾向に冷水を浴びされた気持だったのだが、ここでは、「人間の欲望の矮小化」を超えた文化的な喜びが肯定されており、ほっとする。唐鎌氏の講演の論理の僅かなほころびを感じるところである。成書にする時は直しておいた方がいいのではないか。

*おわりに、のところで唐鎌氏は「被災地をナショナルミニマム保障の先進地域にしよう」と呼びかけている。

①早く仮設住宅を脱してディーセントな居住の保障 ②医療の無料化 ③手厚い失業保障体制 ④生活保護の適用拡大 を東北3県に実施して多くの国民が東北に移住したくなるような復興をする。

東日本大震災を第2次大戦直後と並べて論じるなら、後者に日本国憲法制定があったような「希望の創出」が必要だ、上の4項目はそういう意味では、私ごときの陳腐な案に過ぎないと唐鎌氏は、含羞の人であることを全開にして文章を終わる。

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