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2011年11月 2日 (水)

井上英夫・後藤道夫・渡辺治「あらたな福祉国家を展望する」旬報社2011

1:前段

しばらく放置していた上記の本を精読しようと思ったのだが、自分がこれまでどう考えてきたかをまず振り返っておこう。2010年2月段階での僕のメモが残っていたので以下に再録する。

渡辺 治さんや後藤道夫さんがいう「新しい福祉国家」の「新しい」とはなんだろうかと言うことは、全日本民医連第39回総会議案の理解のうえでも欠かせないところである。

古いタイプの福祉国家が、第2次大戦後のイギリスの政策、とりわけベヴァリッジプランを中心にできあがったものだという認識はまちがいない。

それは労働者階級が戦争に協力することの見返りに生活保障を約束されたものである。

古いタイプの福祉国家とは、福祉政策と国民の戦争協力義務・国家への忠実義務と一体になっっている状態だということができる。この形式は、その後福祉の内容が著しく進んだ北欧でも基本的に維持されていると思われる。

したがって「新しい福祉国家」は福祉が国民の戦争協力義務とリンクしていない、言い換えれば戦争を完全に放棄して憲法9条が守られていることを条件に実現するということができる。

後藤道夫さんたちもそのように説明していたはずである。

しかし、これだけでは、「新しい福祉国家」の成立の条件を述べているだけで、新しい福祉国家の中身に踏み込んでいるとは言えない。

最近ここでも取り上げた「憲法9条と25条・その力と可能性」かもがわ出版、2009で、渡辺 治さんが熱心に新しい福祉国家を取り上げながら、上記のような定義に触れていないのもそういうことなのだろう。

渡辺さんが意見を変えたわけではなく、説明の重点が形式的なところから、より実質的なところに移ったということなのに違いない。

そこで「新しい福祉国家」の新しさを検討してみよう。

①「貧困線水準以下からの救済」を脱して、生活障害がおこる以前の生活水準をそのまま保障する「所得比例型給付」として、中間層の広範な要求にも応えること。

しかし、これはヨーロッパでは戦後すぐに実現していることで、必ずしも「新しい」とは言えない。古い福祉国家の第2段階とでもいうべきものだろう。

しかし、日本では1980年代の企業社会の正社員に部分的に保障されていたのみでまだ実現していないものであるから、日本では「新しい」と言えるのかもしれない。

②貧困線以下の所得を手当てするだけでなく、生活全体を保障すること。

言い換えれば、最低限の生存を守るだけでなく、到達可能な最高の健康を保障する。

そういう意味で憲法25条に保障されているものを「生存権」と呼ばずに、「健康権」としてとらえなおすことは積極的な意義を持っている。

③「新しい福祉国家」は、経済の側面からみれば「ルールなき資本主義」の段階を克服して成立する「ルールある経済社会」と照応する。

しかし、そうだとすれば、私たちはEUはすでに「ルールある経済社会に到達している」、すなわち18世紀から始まった市民革命は完了しているとみているので、EUの国々が「新しい福祉国家」だとしなければならなくなる。

しかし、上でも述べたようにヨーロッパでは軍事力は維持されており、軍事と福祉の一体の関係は克服されていない。そのとき「新しい福祉国家」に至っていると評価することは不可能なのではないか、ということになり、話はやや複雑さを帯びる  』

2: この本の構成

第一部 「今なぜ、社会保障憲章、社会保障基本法が必要か」

第二部 「社会保障憲章2011」

第三部 「社会保障基本法2011解説」

第一部はエッセー、第二部は脚注のいっぱいついた教科書、、第三部は法律案条文とエッセー(第一部の続き)という構成である。

この本はこれを順番に読んでいくしかないが、第二部が一見教科書風に見えてとても面白い。

*が目に留まった記述、○が僕の感想である

3:第一部 「今なぜ、社会保障憲章、社会保障基本法が必要か」

*32ページ 「運動の『たこつぼ』化を克服し構造改革の構成に連帯してたちむかう」

○9条の会や各地の反原発運動が典型的だが、構造改革路線方向に反対する市民運動は広がり続けている。しかし構造改革路線の破壊的な攻勢に対して、十分な反撃ができないのはそれぞれの運動が「たこつぼ」化しているというより、政治的な受け皿が明確でないということだろう。

運動それぞれの視野は決して狭くないし、しかも相互の連携ももネットを通じて緩やかだが広範・迅速になっている。

問題はこうした運動の広がりに対して、政党的な受け皿がないことだろう。サイードの言うrepresentationの問題である。

適切なrepresentatationがないので19世紀のフランス農民がルイ・ボナパルトを支持せざるをえなかったような悲劇が今の日本にも生まれる。貧困な非正規労働者が、公務員叩きを叫ぶ「みんなの党」を支持してしてしまうのもそれである。

名称は別にして「社会保障統一戦線党」を結成して選挙に臨むのに僕は賛成である。

*37ページ世界労連の社会保障憲章引き写しでないでなく、日本の社会保障憲章をつくろうという試みは1980年代小川政亮によって第二臨調の攻撃に対抗して構想された。

○ 世界労連の社会保障憲章が当時のソ連の影響下にあったことは明白で、巨悪ソ連の影響を脱した今日一から見直して見る必要があるのだろう。1980年代からその問題意識はあったということである。

*41ページ 憲章、基本法を二本立てにし憲章から作成した理由はあるべき社会保障で貫かれるべき原則がなぜ必要であり正当化されるのか突っ込んだ検討が不可欠となったから。また基本法では、労働権や教育権などの隣接領域に触れることができないので憲章という形式が必要だった。世界労連の社会保障憲章のような宣言的なものでなく、新自由主義に対抗する社会保障の原則を根拠に立ち入って十分に展開する文書が憲章である。狭い意味での社会保障の原則にとどまらず、雇用、居住、教育にも触れた。

*45ページ 憲法25条は人間の尊厳にふさわしい生活をおくることを国民に保障しているが、保障する社会保障の権利の全体像を詳しく表しているわけではない。社会保障の全体像を明確にするための基本法が憲法付属法としてどうしても必要である。

4:第Ⅱ部社会保障憲章2011

○2000の介護保険も2006の医療改革関連法成立も狙いは一つ。医療=介護保険から社会保障要素を削り取り保険主義要素を拡大することにより、公的支出を削減するとともに、私企業の市場としての混合医療=介護を拡大することにあった。これは、今日問題となっているTPPでもアメリカの生命保険会社や製薬企業に利用されていく下地となるはずである。

思えば、介護保険導入を議論していた当時、僕たちは、介護の措置制度を守るべきで保険制度にすべきではないという線で頑張っていたのだが、共産党が「保険形式にしたからといって社会保障でなくなるわけではないからこのさい保険で行こう」という路線を打ち出して、僕らの戦線の統一は崩れた。その後の障害者の支援費制度導入、さらに障害者自立支援法での介護保険方式採用、後期高齢者医療制度での保険主義的保険料設定など、ほとんどの改悪は介護保険での保険主義導入に端を発しているといってよい。共産党に悪意がなかったのは明らかだが、ある時点で守らなければならない一線が何であったかは、今になってはっきりしてきたといってよい。

*101-108ページ 労働権 とくに非正規労働者、失業者の権利の拡大について。

*109-136ページ 基礎的社会保障の原則

○これが社会保障憲章案中、具体的な中心的主張であるように思える。

*110ページ  「介護保険、障害者自立支援法の大きな欠陥にかんがみ、基礎的社会サービスは公的責任において現物給付方式で給付されるべきである」

*112ページ ・・・じつはここでアマルティア・センと社会保障憲章の関係、現金保
障でなく現物保障の原則が明確になっている。

「サービス提供者と受給者の相互了解・合意により個別ニーズを尊重する現物給付方式
の社会サービス保障は人々の生存を保障するためのモノやケアが、同時に、人間の有す
る潜在能力(capabilities)の発達・発揮を保障するものでなければならないという、
生存権保障の新たな現代的理念にも合致する。」
・・・センは、収入が同じでもそれによって可能となることは障害の有無で全く違うので、
同額の収入を保障するのでは不十分であって、可能性を等しくすることを保障せよと別の場
でも言っている。
*116ページ すべての学校教育の無償化
○教育によって恩恵を受けるのは本人ではなく、社会である。
医学部に行って医師になれば高い給料をもらうのだから、医学部の学費は高くていい?
→無料でよい。医師になって高い給料をもらい始めた時から高い所得税を徴収すれ
ばいいのである。
*120ページ 居住保障 戦後日本の住宅政策の欠陥がわかりやすく書かれている。
*125ページ 所得補償と生活保護
:129ページ 貯蓄が1か月の生活費未満という厳しい資産要件を加えた条件での生活
保護捕捉率32%




 149ページ* 誰もが住み続けられる地域コミュニティの基礎単位は「中学校区」
150ページ* 福祉国家型地方自治の現代的課題の一つはこの中学校区を単位とした
「住み続けられるまちづくり」にある。中学校区をその地域に最適なかたちで正義・維持
することに基礎自治体の第一役割がある。
3.11でも、中学校統合による、中学校区の拡大は、コミュニティ維持の上で障害となった。
155ページ 企業は総労働力プールを利用する。総労働力プールは、社会保障・教育・
各種公的サービスによって維持される。とすれば、企業には、それらの費用負担義務が
生じる。法人税、社会保険への事業主負担などは当然である。ここでも応能原則は徹底され、
大企業ほど負担率が高いのも当然である。
158ページ *法人税を高く設定する理由:第一に法人所得は不労所得である。
第二に法人所得は、社会制度・インフラ整備の利用によって生じる。
法人利益―株主配分=法人所得には個人と同様の所得税がかけられなければならない。
ところで、この章の繰り返しの多い教科書的な記述は読む者に大きな苦痛を引き起こす。
僕も忍耐の連続であった。事典的に使うのだすれば、索引や構成にもう一工夫必要だろう。
168ページ 社会保険の2面性 ①社会保障としての要素 「応能負担」
「必要に応じた給付」②保険主義の側面 「負担あっての給付」  
②をどう無化していくかが問題

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