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2011年11月21日 (月)

高谷清「重い障害を生きるということ」岩波新書 2011・・・医療従事者は、自らの運動のモデルを重度心身障害者福祉運動に求めるべきである

雑誌「月刊保団連」2011年7月号にびわこ学園の小児科医 高谷清先生が「『パーソン論』は『人格』を有さない『生命』の抹殺を求める」という論考を寄稿されている。</p>

僕もエンゲルハートの パーソン論には深い嫌悪感を感じていたので、このブログにも高谷先生のその文章について触れた記事を書いた(7月14日)

10月20日発行のこの本はすぐに手に取ってみたくなった。

どこをとってみても要約不可能な、そのまま読むしかない本だが、脳死臓器移植や、消極的安楽死の根拠となる脳第一主義を、人類史を俯瞰する中で鮮やかに否定した「6 人間的存在ー協力・分配・共感」90-103ページがこの本の中心となるだろう。

人間は類的存在だと言ったのは若いマルクスだが、高谷先生も人間は本質的に協力・分配し共感する集団的存在であり、その中に一定の割合で生じなくてはならない障害者は疑いもなく集団の本質的一員だと言っている。

それだけでなく、その集団=種の中に現時点では障害とみなす以外にない状態も含んだ多様性が生じなければ実はその集団=種が維持されないのであって、障害者はヒトの種や人間の社会の維持のために必要な障害を引き受けてくれた戦士だとも高谷先生はいう(41ページ)

そして人間が協力・分配し共感する集団性を貫きながら現在の形まで発展していくなかで、脳は身体機能・精神機能を統合するという独自の機能を持ったにすぎず、そのことで脳を「中枢」と呼び、脳の働きである自意識を人間であることの基本的な条件とするのは過剰に重要視しすぎる位置づけだと批判する。

人間が一つの本質のもとに発展させて到達した「大脳」や「自意識」が、逆に人間であることの本質だと定義されるのは、逆立ちした論理、あるいは幻想のような勘違いだとしか言いようがない。

びわこ学園で生きている障害者とその親や治療者との豊かな関係の中にこそ、誰にでも「自己」があり間違いなく人間だという証拠があるのである。自己は身体全体で表現され、人間関係の中で実現するのである。

こうして身体全体で担われる「自己」がまずあって、そのことが脳を作り上げもし発展もさせているとするなら、そして「自己」とは他人との関係の中にあるものだとすれば、「自己」すなわち私は、私と他人の合作だということになる。私は私一人で作り上げているものではない。それも考えれば当たり前のことではある。私が他人によって作られ、生まれる以外になかったのはそもそも両親や両親を支える無数の人がいたからであることくらい見易い道理はない。

*141ページ1967年児童福祉法が改定されて、ようやく重症心身障害児が法的な保護・治療・リハビリの対象となったが、18歳以上になるとその措置が無くなることが、家族や関係者の不安も増したが、運動によって18歳以上のものも施設入所できるという付帯決議を付けることに成功した。このことを高谷先生は

「福祉は、社会復帰に役立ち、社会への見返りが出来る人に対するものである、とされていた状況がようやく変わろうとしていた」

と書いている。

資本主義の時代の本質として労働力が商品になるということは、労働者は自らの健康を売るということに等しいから、資本がその使命として労働力を安く買おうとすることは、労働者の生命と健康の破壊に必然的に結びつく。

そこで医学による治療も福祉も、資本からみれば労働力維持の道具にすぎない。

労働力の売り手たちは、そのように医療や福祉が資本からも必要とされていることを逆手にとって利用しながら、労働力の売り手であることを脱し、一個の人間=個人であることだけを根拠に生存、生活、健康、社会参加の権利を打ち立てていかなければならない。

その時憲法13条と25条に総論が述べられている基本的人権が根拠となるだろうが、健康が基本的人権とっして取り上げられるのは、超歴史的なことでなく、資本主義の時代に特有なものであることは、このブログで最近言及した唐鎌直義さんが言っていたことである。

そのための運動と思想の先ぶれは、労働力維持の目的という色合いがまだまだ濃い医学治療からではなく、労働力維持の面からみれば真っ先に放棄されるはずの重度障害者福祉の領域からやってきた。

それは歴史的には当然というものだろう。

医療従事者は、自らの運動のモデルを重度心身障害者福祉運動に求めるべきである。

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