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2011年10月15日 (土)

健康権再論

健康権の概念がなかなかすっきりと受け入れてもらえない。

思い切り短く、僕の思うところを述べて見たい。

健康権の認識の出発点は、社会疫学による健康の決定要因の発見と測定である。物理化学的原因(感染を含む)を別にすると、健康障害の大半は社会的要因、すなわち不平等にある。

人間は不平等によって健康を害するのである。

具体的にどういう不平等が問題なのかが、実質的な問題となる。

それは、子どもの頃の育ち方の不平等、働き始めた後の待遇の不平等、食事の質や住宅や生活環境の不平等、利用できる交通機関を含めての社会参加の不平等など最低八つは統計学的、疫学的に確固とした事実として確定できる。

そこで、改めて自然あるいは物理化学的原因による健康障害を見直すと、それらもまた社会という層をくぐって人間に作用しており、(加藤周一が描いた自然、社会、神、私という四重の同心円が思い描かれる)社会的要因の影響から免れない。地震やハリケーンという自然災害においても、死者は貧困層に集中するのである。

とすれば、すべての健康破壊に社会的要因、すなわち上記の様相の不平等が関わっていると考えてよい。

こうした不平等にさらされないことは、ジョン・ロールズの正義論やアマルティア・センの厚生経済学の立場からも支持される基本的人権である。

これを健康権と呼ぶ。

それは日本国憲法25条に表現されている生存権や生活権を包含しつつその発展と解釈されるものと言える。

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