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2011年10月20日 (木)

宗教って宗教専従者のものなのか

ある政党が宗教との対話の企画をした。

写真を見ると、僧侶や神主や牧師が並んでいる。

この政党にとって、宗教=「聖職者」、すなわち宗教専従者なのだということが分かる。

しかし、宗教は救済を求めるもの=信仰者のものであって、いわゆる聖職者はそのお世話役にすぎないのではないか。

そういう意味での専従者が自らを自動的に「指導者」と任ずるところに、この政党や宗教界の似た者同士的なところがうかがわれるのでもあるが。

それにしても、どうして専従者と話すことが宗教との対話になるのだろうか。

宗教=「聖職者」、すなわち宗教専従者という感覚は、たとえばムスリムを宗教コミュニティの一員としかとらえない単眼的思考につながる危険な誤りである。

宗教を自らの重要なアイデンティティの一つとして多様な社会活動を行っている人びとの、その生活の中での宗教と政治の関係をもっと地道に話し合う場をつくれないものか。

また、医療に引き寄せて言えば、多くの病院が医療倫理委員会を作ろうとするとき慣習的に僧侶や牧師を招こうとするのを僕はずっと不審に思ってきた。

そこには「宗教専従者=死生観の専門家」というきわめて粗雑な公式と、それを信じる粗雑な頭脳があるのだろう。

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