アマルティア・セン「アイデンティティと暴力 運命は幻想である」勁草書房2011 ・・・可能な限り多数の文脈で人間は理解されなければならない、また健康を正義と捉えるのは正義の概念の拡大であり、正義の拡大の向こうにセンも世界共和国を構想している
ケンブリッジのカレッジの学長からいつの間にかハーバードの教授になっているセンさんの2000年のボストンでの講演をもとにして2005年に発行されたわかりやすくて、かつ2001年9月11日以降の世界をも見通した一冊。
翻訳は集英社の新書で出ているセンの講演集を手がけた東郷えりかさんで安心して読める。
センによってここで批判されている意外なものは二つある。
ひとつはサンデルたちのコミュニタリアニズムである。
もう一つは反グローバリゼーション運動である。
いずれも、人間の理解を深めることに役立ち、同時に切実な社会的要求を反映しながら、人間のアイデンティティを単純にとらえ単一のコミュニティに還元するところで正しさを失い、人間の未来に反するものに転化している。
(これは複雑なものを単純な要素に還元して理解をすすめようという立場で「還元主義」と呼ばれる。本来複雑な世界にあって、大きな誤りの源になっている)
インドはパキスタンと並ぶ1億5千万近いムスリム人口を抱えている。しかし、イスラムの名のもとに活動するテロリストはきわめて少なく、アルカイダと関係するものはほぼ皆無である。2005年時点のインドの大統領はムスリムが選ばれていた。(232ページ)これはインドの民主政治の本質により、ムスリムであるという宗教的コミュニティに基づくアイデンティティ以外にも多くのアイデンティティが存在することがインド社会で自明となり、人々の自己理解や相互の関係においてその重要性が認識されているからだ、とセンはいう。
単一のアイデンティティを強調することが憎しみと暴力に利用されることは、別の著者の次のような例からも明らかである。加藤周一「夕陽妄語」2002・6・24「それでもお前は日本人か」橋川文三が白井健三郎に、宗左近の召集を「祝う」会で投げかけた言葉である。白井は「日本人である前に人間だよ」と言い返し、激しい言い争いとなった。 15年戦争当時はこうして人びとが戦争に従わせられた。遠い話ではない。気に入らない人間を無理やり従わせるために「お前はそれでもこの会社の人間か」という恫喝は今の日本でも普遍的に見られる言動になってはいないか。
これを一例として、人は一つのコミュニティに属することを生得的に押し付けられているのではなく、属するコミュニティやその優先順位、コミュニティ間の関連の選択は、あくまで自由でなくてはならない。
サンデルの誤りは、その自由を認めず、単一のコミュニティが個人を外部から支配するところにある。
サンデルたちによって人間が孤立したものでなくコミュニティという文脈contextで理解されるべきだという認識が確立したこと自体はすばらしい。だとしてもcontextを一つに限定するそれは誤りに変わる。
サンデルが魅惑的な講義をする一方で、結局はアメリカ第一主義の保守的な政治姿勢に陥っているのもそのためである。
そして、もっとも重要な問題として、グローバリゼーションは、それをどうグローバルに公正・民主的に規制していくか、そしてそのなかで全く新しい質の連帯をグローバルに作り上げるかという課題を人々に提起しているのであり、経済のグローバリゼーションという法則的現象を、機械を打ち壊したラッダイト運動のように無理やり停止させることは論外だということをセンは何度も強調する。
反グローバルの運動は、運動自体がすでにグローバル化していながら、そのことを無視するか忘れており、自分たちの運動の本質の正しさを見誤っているのである。
グローバリゼーションの公正・民主的な規制に関する課題の例が252ページに列挙されている。
*教育と公衆衛生を緊急に普及させること
*主にG8諸国(日本を除く)が盛んにやっている武器輸出をやめさせること。
*先進国の市場に途上国が参入する機会を増やすこと
*特許や経済的誘導が、貧困層の必要とする薬などの開発に有利になるようにする
そのうえで、センは253ページでグローバルな民主主義の発展の先に世界共和国を展望している。そしてそれを203ページに引用したディヴィッド・ヒュームの言葉から「正義の関心及ぶ範囲の拡大」だとしている。
これは健康を正義の問題としてとらえることをセンやロールズに教わりながら考えているこの4年間の僕の関心からはまったく何の違和感もなく合意できることである。
以下は順不同にセンのエピソードを拾っておく。
◯1944年、センが11歳のとき、ベンガルにおけるヒンドゥーとムスリムの間に大暴動が起こり、センの家の庭先でムスリムの貧しい労働者が、おそらくヒンドゥーの貧しいならず者に殺されかけて逃げこんだ場面にセンは遭遇した。父が病院に急いで連れていったが間もなく死亡した。
殺された労働者は、暴動が来ている間はヒンドゥー地区に入らぬよう家族から言われていたが、家族に食べさせる物がなく、止むを得ず職探しに禁を犯して来ていたのだった。
貧困と宗教対立の恐ろしい結びつきを少年センは衝撃を持って記憶する。その後、この暴動をきっかけに、ベンガルから東パキスタンが分離するが、1970年台になるとパキスタン内の東パキスタン疎外が原因で、東パキスタンはバングラデシュに生まれ変わる。このときは、ムスリムではなくて、ベンガル人というアイデンティティが前面に出てきた。その際も大虐殺があった。
アイデンティティを単一なものとしてとらえることが争いに、そして大虐殺につながることは、ベンガルの飢饉とともにセンさんの原体験となっているのだろうし、この本を書かせた原動力だったことがあわかる話である。
*次のものは対イギリスとの関係で、センさんとガンディーさんが似たような経験をしていることを示している。
○インドからイギリスに帰ってきたセンさんのパスポートを眺めていた入国管理官は、センさんの住所がケンブリッジ大学の中にあるカレッジの学長官舎となっているのを見て不審に思い、この学長とあんたはどういう関係なのかと聞いてきた。インド人がケンブリッジの学長になっているなどとは彼には思いもよらなったからである。
○センさんは20歳の時(1953年)イギリスに留学したのだが、ケンブリッジ大学で初めて下宿したときの下宿のおばさんが、「風呂に入ると色が白くなるよ」と親切心で言ってくれた。また、このおばさんは文字は西洋文明の特別な発明なので、文字というものがあるのにあんたはに驚いただろうと言ってきた。親切なおばさんだったのである。
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