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2011年10月 6日 (木)

中井久夫+山口直彦「看護のための精神医学第2版」医学書院2004 ノート・・・「最悪のノート」という自覚を持って

まったく自分の精神状態のみに対する必要性からこの本を手にとったのだが、直接関係のないところをパラパラとめくっていると、胸に突き刺さることがあまりに多い。やむなく順不同にノートを作ることにした。

*は僕が独自に考えたこと

○は引用

△は引用しながら自分流に変更を加えたもの

◎特に大切と思えたこと  である

225ページ「12 人格障害」

*患者になるという事態によって、患者の人格の大半は障害されている。そこで、患者全員を人格障害者と考えて対応することにしよう。あるいは、職業的に患者と接するということにより、医療者の大半も人格を障害されているかもしれない。ならば、すべての人を人格障害者と考えて接したほうがいいかもしれない。

○人格障害の人への接し方:「あたらずさわらず、距離を置いて」「見下さず」「あなどらず」「バカにせず」「なめられず」「つけこまれないように」

いたずらに恐れて萎縮せず、毅然としていること。

親密で安定した人間関係など求めない。そのような関係ができるなら病院にはいない。

◎「信なき理解の破壊性」

「患者の深いところでのまともさ」を感じ取って信じること、これがすべての出発点である。

○配偶者や子どもを「信」ぬきで理解しようとすると、必ず関係を損ない、相手を破壊する。統合失調症の再発も確実に促進する。

○理解の押し付けは、患者にとって土足でこころのなかに踏み込まれることであり、さらには「わかってない、もっと理解せよ」という際限のない患者要求を引き出すだけである。

*理解することは必要ない。距離を持って信じることが一番良い。

○約束した言葉が信じられなくても、約束した行動を信じる一方、約束が守られることを期待しない。約束が破られても、自分に被害が及ばなければ見逃す。

○「親切に話を聞いてあげないとよい医療ではない」と思わないこと。それは「自分と接することが患者に有益だ」という根拠のない思いあがりに過ぎない。

○患者に対して道徳的優越を誇示すると、貶められた患者は攻撃者になる。攻撃を受けると医療者は脆い。医療者の側が人格崩壊を起こしかねない。道徳をカッコに入れても医療は成り立つという姿勢で臨むこと。

△患者を自分の満足の道具にしないということが、カント以来のヒューマニズムの原則である。自分の満足の道具にしないからこそ、医療が患者と医療者の共同作業になりえる。←233ページ

△ヒューマニズムに似て非なるものに「ヒューマニタリアニズム」というものがある。これは自分の満足のために患者を憐れむというものである。第3者のヒューマニタリアニズムが医療を破壊することがしばしばある。「薬の飲みすぎよ、止めてみたら」「そんな医者は変わったほうがいい」という無責任な忠告が患者の生涯を台無しにする。

△精神科医にとって無責任な第3者は、実は一般の医者であることが最も多い。

△自分の言葉が患者に影響を与える、患者を変えることの面白さの誘惑に陥ってはならない。

*「相手の人生が突然変わる癌告知の瞬間ほど面白く、医師であることの醍醐味を感じるときはない」とある有名な医者が、薬屋が配る無料の本に書いているのを見たことがある。それを取り消す記事や抗議も載らなかった。

◎「患者が変わるのであって、医療者が患者を変えるのではない。医療者は「患者が変わる際の変化を円滑にし方向の発見を助ける触媒」であることを、それも願えるにすぎない。

252ページ てんかん親和的な人

てんかん親和的な人は、大胆に矛盾を生きる人である。矛盾を生きるとは、基本的に刺激を避けた静かな生活にあこがれると同時に、刺激を求め、刺激にのめりこんでゆくという二面性である。秩序を求めつつ、混沌に身をさらす誘惑をも感じている(よい音楽はこの両面をうまく満たしていないか)

てんかん親和的な人は、誰よりも深く現在を味わうことができる。壮大な夕焼けの美も一輪の花の清楚も、めくるめくスリルも、これらを深く、戦慄的なまでに体験するのはてんかん親和的な人の特権といってもよい。

人々を感動させる芸術は、絵画、音楽にかぎらずてんかん親和的な人が作り上げたものである。モーツァルト、ベートーヴェン、ドストエフスキー、ゴッホ、みなそうである。てんかん親和性でない音楽家のほうが少数派である。

⇒この記述は本当なのだろうか。中井先生の言うことはみな正しいのだろうか。

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