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2011年10月 3日 (月)

10月の広島県八幡高原・・・「霧ヶ谷湿原」は小洒落すぎている命名だ

10月の最初の日、子ども2人と一緒に広島県北広島町八幡高原に出かけた。

僕が生まれたこの村には92歳の伯母が一人で住んでいる。久しぶりに訪ねてみるというのが一応の目的である。

宇部からだと、中国自動車道上り線を安芸太田町の戸河内インターで降りて、島根県益田市方面に向かう国道に入り、標高にして500m位も登ると、海抜820mの八幡高原に着く。

久しぶりに樽床ダムを一周してみると、湖畔の一角にダイワハウスが建設中の比較的大規模な別荘村ができており、そこだけ別世界になっている。山口市の山口病院の院長先生が八幡高原に別荘を持っていると言っていたのはここかもしれない。

西側から八幡高原の集落に入って、伯母の家に行くと留守だった。しかし、「『野田』に行っています」と置手紙がしてある。「野田」とはそこから2kmばかり東にある僕の実家、伯母にとっても実家である家のことである。周囲は準平原的地形に区画整理の終わった広い田んぼが広がっており、高原というネーミングを裏切るような、日照時間の長いありきたりの農村である。家も改装したため、樹に包まれていた昔の趣はなくなり、なんとも味気ない建物になっている。これを別荘と呼ぶと村の笑い物になるだろう。

それはともかく周囲に草だけは生える。伯母さんは30分以上かけてシルバーカーを押しながら出かけて草を抜いていたのである。

着いてみると、伯母さんは庭に座り込んで弁当を食べていた。弁当はおそらく配食を頼んでいたものだろう。

伯母さんを自分の家に載せて帰り、しばらく昔話をする。四十九日の集まりをいつにするのか、などという話が少々しんどくなって、お別れをいう。

それから親子3人で臥龍山山麓で、湿原再生計画が進んでいる千町原に向かう。

ずいぶん整備されて、尾瀬を思わせる木製の歩道が作られて湿原の様子が観察できるようになっており、陸軍の演習地だった趣が濃く残っていた僕の子ども時代の面影はない。

名前もセンチョーバラなどという田舎臭いものでなく、村人からの公募で「霧ヶ谷湿原」に変わっている。

秋の日に照らされて、湿原の中に立つ木々があまりにも鮮やかに立体的に浮かび上がって見える。それは悲しいほどだった。赤い実を着けた灌木はナナカマドだろうか。

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