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2011年9月28日 (水)

点鬼簿

その機会もこれからあまり多くはないだろうから、僕より若くして死んだ人々のことを記録しておこう。思いだす順にぼつぼつと。

椎野君: 修道中学の同級生。中学2年の時、通学の電車の中で急死したことを朝礼で聞いた。そのときの感想を10年後「見えないナイフ」という題の詩に書いた。「詩人会議」に掲載された。

徳山君:大学1年の時に同じ寮にいた。プレイボーイ風の工学部生だったが、運転免許を取得した直後に事故死したことを聞いた。

岩間輝美さん:1981年甲府共立病院で消化器の研修中に、ものなれない僕をもっとも親身に援助してくれた看護師さん。15年後に民医連新聞の死亡記事を見て僕は愕然としないではいられなかった。妹の岩間みどりさんにお悔やみの手紙を書いた。

吉野邦夫君:山口大学医学部の6年後輩。一緒に山口民医連・宇部協立病院を作ったが、苦しい闘病の末、白血病で亡くなった。小説の習作がたくさん残っていたので、共通の友人の荒木さんが著作集という形にして発行してくれた。それに挟むしおりの文章を書いた。

束原 進君:1981年に甲府共立病院で研修しているとき、内視鏡や病理を丁寧に教えてくれた恩人。同年齢で学年は1年下だった。全日本民医連副会長を務めていたが、2008年、辺野古の米軍基地移転反対闘争支援中死亡した。タバコが好きで、髪の毛のない人だった。

部坂君 :病院に勤務していた鍼灸師。30歳台で脳出血を発症してなくなった。病院を作ったあとの仲間で初めて亡くなった人だったので鮮明に記憶している。 他の人々も実は次々と思い出してくるが、こうしたものは書きにくいことが分かった。ぞれぞれに遺族の方がいるのだ。 無意味なことを始めてしまった。ここでやめておこう。

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