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2011年8月23日 (火)

後藤道夫さんに質問した

8月19日の夕方、全日本民医連で後藤道夫さんの講演会に出席。どうしても聞きたいことがあったので、講演が終わったあと、個人的に質問した。

後藤さんはもう忘れているだろうが、これまで2回質問して2回とも彼を怒らせている。

一度は、「では、地方の保険医協会はどういう運動をしたらいいのか?」と聞いたら、「研究者に運動の実践法を聞く奴がどこにいるか、自分で考えろ」と言われた。彼もまだ若く血気盛んだったのだ。

もう一度は「都留文科大学のような『不ぞろいのりんご』の大学で教員をするのも大変だろう」と質問したら「都留文科大学はそんな大学ではない、優秀な学生が集まる大学だ」と憤然と答えられた。彼もまた愛校心に燃える教授であったのだろう。

最近、活躍目覚ましい上杉隆も都留文科大学の卒業生である。

さて今回は、「権利の中には代価を払ったから権利があるという種類のものもある。しかし、『人権』は人間である限り誰にも無条件で認められるものだ」と後藤さんが講演の中で言っていたので、その根拠を聞きたかったのである。

「なぜ、人間である限り誰もが平等に『人権』を持っていると証明できるのか?

人格にランク付けをするエンゲルハートのパーソン論などが世界をばっこし、脳死臓器移植や、重症患者の治療中止を当然とする理論につながっているから、僕としてはこの問題をとても重視している。

しかし、根拠がいまひとつわからない。その答えは岐阜大の竹内章朗の主張する『能力の共同性』を学んだらわかるのか」

と聞いてみた。

後藤さんは、少し考えた後、「竹内も断言しているだけで証明はしていない」といった。

「では、それは信念なのか?」

「そう、個人的な信念でなく、ある時代のある社会が抱く信念だ」

「それでいいのか?」

「それで十分だ、と自分は思っている」

おそらく、個人や社会の原体験というものがあり、そこから、それは全く理屈のない直観で納得され合意されるものだろう。

たとえば原爆で死んだ人を考えれば、誰一人そのような死を遂げてよい人はなく、、そのように死なない「人権」が平等に誰にもあることは直観でわかる。

その直観を底において、そうでなくては納得できないことの例を積み上げていくしかないのである。竹内の能力の共同についても、個人の能力が必ず他人の援助のものに成り立っており、そうして能力を得た個人は、自分を支えたくれた人間を自分と平等な存在として遇するしかないではないか、という論理の積み上げを行っているのである。

その積み上げの層が厚いほど理論は緻密になるというものだろう。

そんなことを考えながら、僕は季節外れの涼しさに包まれたお茶の水界隈にまずい食事を取りに出かけたのである。

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