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2011年8月 4日 (木)

隼田嘉彦(はやたよしひこ)先生について

昨年2010年夏、修道高校卒業後40年目の大合同クラス会が開かれたのだが、皆が口にするのは国語のO先生や数学のK先生など生え抜きの恩師のことばかりだった。

しかし、僕にはこの人が恩師だと思う人が一人いた。彼のことは誰も覚えていないようだった。

彼は高校1年の時の担任で、ホームルームで「国際学連」や「全世界民主青年歌」*の歌を皆に教えた。http://www.youtube.com/watch?v=--wBImyZDGs 

http://www.youtube.com/watch?v=-g5h42IfCE0

(*それは旧ソ連の支配下にあった組織で、今考えれば相当に奇妙で愚劣な代物だったはずだが、当時はそれがよくわからず、その歌はなにか胸が熱くなるようなものでもあったのである)

熊のような風貌で「われらの友情は原爆あるも絶たれず、闘志は火と燃え 平和のために闘わん」と照れもせず大きな声で歌って教えていたのを覚えている。

そういえば、その頃の僕の体重は今の半分くらいだった。

僕が津田廣志君(遅くに医師となった彼は、今は広島でつばさ往診クリニックというのをやっている)と一緒に学校で初めて未解放部落問題の文化祭展示を企画したのを応援してくれたのだった。部落問題の見方の基礎も彼から学んだ。

何かのおりに僕の発言が気に入らなかったらしく「お前は広島の百姓一揆について何か勉強したことがあるのか」と詰問されたこともある。

当時の僕は、中学校の同和教育担当教員だった父が持ち帰る本を覗き見していたために、福山に本拠を置く解同・小森竜邦(この人物がのちに社会党―新社会党の代議士になるわけだから日本の議会や社会党も相当な代物である)一派に相当影響されていたが、それは一つ一つ解きほぐされていった。

企画は学校側の物々しい監視の中で行われたが、企画自体は僕の準備不足でうまくいかなかった。しょげている僕に、担任が学校の近くの大衆食堂でラーメンおごってくれたのも覚えている。

この企画のせいで、県教委からの天下りだった校長Y氏は、僕の父を校長室に呼びつけたりしたが、担任のことを「彼はなかなかのの『左翼』ですから」と言ったものだ。

彼は担任を1年でやめて翌年は退職した。僕の企画が影響したのではなかったかと心配だった。

最近、ふとしたことから、長年忘れていたその人の名前を思い出した。隼田嘉彦というのだった。広島大学の歴史系の大学院を出た頃に修道高校に就職したのだったろう。

検索してみると、のちに福井大学の教授となって日本史、とくに江戸時代の百姓一揆などを教えていらっしゃったようだ。もう退官されている。

「左翼」としての僕はこのあたりから出発したのだった。

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