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2011年8月11日 (木)

「健康権」についてのメモ                      

○ある意見(金沢大井上英夫、神奈川県立大棟据徳子ら)

≪憲法25条の条文には、生存という言葉はないが、健康という言葉は最初からある。憲法25条が保障するものを素直に健康権と呼べば良かったのではないか。国際的にも、WHO憲章1948、国際人権規約1966などで、健康権という言葉が普通に使われている。≫

○13条を単に「幸福追求権」条項とせず、「生命権あるいは生存権」も含まれている条項とし、25条を「生存権」でなく「健康権」条項と呼び変えるという提案は私もしているところで、「25条は健康権」ということ自体には賛成なのだが、言い換えだけではあまりに表面的議論に終始しているように思える。

○健康が人権であると積極的に主張する、具体的事実に裏付けられた根拠がほしい。

その事実とは社会疫学によって示されている、と考えられる。

O 代表的なものを取り上げると、WHOの健康の「社会的決定要因」(Social Deteminants of Health)委員会が発表した‘Closing the gap in a generation2008年が、ある。社会経済格差が何十年という平均寿命の差など耐えがたい健康格差を生じていることを具体的に示して、「不正義が大規模に(人々の健康を破壊し)人々を殺しつつある」と結論している。ここですでに健康格差が不正義であると宣言されてしまっているのだが、私にとっての問題は、その一歩手前、健康格差がなぜ不正義であるかということの証明手続きである。

○社会疫学に裏付けられて「人々が平等に健康であることは正義だ」というのが健康権の根拠になることをどう説明するといいのかということが、ここ数年来私を悩ましてきたことだった。

○その際、「正義」とは何かを決定するのに用いられるのはジョン・ロールズの正義論と、アマルティア・センの正義論があると思ってきた。

○まずジョン・ロールズの正義論に基づいて健康と正義の関係を考えてみよう。

ロールズの正義についての概要。

正義は以下の2原理(3原理)を順に満たさねばならないとされる。

第一原理 

 各人は基本的自由に対する平等の権利をもつべきである。(自由原理)

第二原理

  第一原理により生じる社会的・経済的不平等は次の二条件を満たすものでなければ許されない。

公正な機会の均等という条件のもとで、生じたものであること。(機会均等原理)

 ②それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること。(格差原理)

自由競争を是とする第一原理の結果として生じた社会格差によって健康の不平等が生じる。これは社会疫学が明らかにしていることである。 社会疫学は、個人の生活習慣による健康悪化、すなわち健康悪化の自己責任も基本的に否定している。 そういうなかで、この健康格差、健康悪化が社会的に果たして許されることだろうか、すなわち正義だろうかということが問題である。

健康が一人ひとりの人間の社会活動の前提であるという特徴から、健康の不平等はどの時点で生じたものであれ、その後の社会活動に対する機会均等を破壊する。これは、典型的には、親の社会的地位によって子どもの健康の不平等が生じている例を考えれば容易に理解される。したがって、健康の格差・不平等自体は当然許されないし、さかのぼって健康の格差・不平等を生むほどの程度に至った社会格差も機会均等原理に違反しているとされる。健康格差を生まない程度の社会格差は許されるということになるが、健康度の勾配は社会格差の勾配に対応しているので、実際に許される社会格差はないといってよい。

こうして健康の不平等、健康の不平等を生む社会格差は機会均等原理からも格差原理からも不正義と判定されるのである。

○次に、アマルティア・センによる正義論から健康を検討しよう。

センによれば、今日の正義はすべて平等が前提であり、「平等がよいかどうか」を議論することはもはや行われず、「何の平等が望ましいか」が議論されているとする。そこでセンは代表的な平等の領域(Space)を検討する。効用=自己満足の領域を否定して、潜在能力すなわち人々の自律、社会参加、社会的支援を受ける能力の領域を発見し、その中心に健康を置く。人々の健康こそその社会に正義が実現されているかどうかを測る指標となる。

平等=正義の前提論への反論として、効用=自己満足=所得の格差は労働意欲や社会発展の刺激となるという説が主張されるとしても、健康の格差はどんな刺激もほとんど生みださないので、健康の平等が正義だという主張への反論にはならないことが、このことを裏付けもする。

こうして、ロールズによっても、センによって、健康の平等が正義とされ、健康格差そのもの、あるいは健康格差を生む社会格差が不正義だとされる。

○次に実証されなければならないのは、社会格差を軽減する実践が健康格差を軽減するという上記の社会疫学の証明とは逆の方向の証明である。

それはより平等な社会は健康を改善することを事実で示し、「正義=は健康によい」あるいは「人類は平等に向かって進化している」ことを証明することである。これは社会疫学に基づく政策提言の実践の結果を測定することによって証明される。

○まとめて言えば、「社会格差が健康格差を生んでいることは不正義だ」という認識と「正義=平等は健康の基礎になる」「人類の進歩は平等に向かっている」ということを証明する実践の総体が、人権としての「健康権」が存在するということの証明となる。

そこで、最初の井上、棟据らの議論に立ち返ると、憲法25条第1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」は、すでに健康的な生活について格差を容認する表現になっているといえる。これは憲法制定時の貧しい社会を背景にしていて、十分理解できるところだが、上記の議論からは容認されないものでもある

○現在の情勢をみる中でも、たとえば規制改革会議が「公的医療は必要最低限度にして、そこを超える部分は自由診療にする」というとき、「最低限度の健康」があるということを前提としている。規制改革会議のメンバーにとってはこれでもなお、日本には生存権があるとされうるのである。

○とすれば、生存権という用語がすでに健康の格差を容認していたのだとも言える。それは正義の原理に違反しているといえる。

○そこで私たちが「生存権」という言葉を使わず「到達可能な最高の健康を目指し、保障する」「健康権」という言葉を用いることには正義、平等の達成という立場から積極的な意義があると言える。

○この議論の、事実に基づく中身は、社会格差による健康格差の発生、および社会格差の是正による健康格差の軽減、という2方向を実証する社会疫学によるしかない。

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