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2011年8月10日 (水)

不破哲三「時代の証言」中央公論新社、2011年

トマス・ピンチョンの小説の新訳が出たというので書店に行ったついでに買った本だが、結局こちらの方を早く読むことになった。当然と言えば、当然の流れである。

読売新聞政治部が不破哲三氏に半年かけてインタビューして、中央公論がハードカバーの本としてそれを出版する、というのは不思議な話だが、そういう経過であるだけに、意外なことがたくさん書いてある。

以下はそのアット・ランダムなメモ。

○不破氏が1987年に心筋梗塞の治療PTCAを受けたところは三井記念病院だった。非常にうまく行ったので主治医が書いた論文にも写真が使われているとのこと。南アルプスの登山に熱中するのはその後のことだった。

○社会党系の評論家清水慎三氏(私はこの人の書いた岩波新書を読んだことがある)は不破氏が鉄鋼労連に書記として就職した時の書記長だった。同じことを言うにもけっして共産党用語を使いたくないために、「このことは共産党ではどう呼んでいるのか」と頻繁に聞きに来たとのこと。

○千葉県柏市にあった米軍のロランC基地は原子力潜水艦のための電波灯台で、アメリカが戦争を始めたら真っ先に爆撃を受けるはずの代物だった。不破氏がこれを追究すると、金丸防衛庁長官は返還に動いた。返還後の基地跡には、国立がん研究センター東病院などが建設された。

○1976年に創価学会と共産党のあいだに、互いに誹謗中傷しないという協定が結ばれたのは、創価学会側の情勢の読み間違いだった。72年の総選挙で共産党が大躍進し、革新自治体もどんどん広がっていったので創価学会もその流れに乗ろうとしたのだが、76年には自民側の反共攻勢が強まってしまったので、あわてて逃げ帰り、結んだばかりの協定を無効化した。

○田中角栄の開発計画と、80年代臨調路線下の公共事業には相当な違いがあると不破氏は考えている。田中角栄にはそれなりの日本経済の土台づくりという意識があったが、80年代の公共工事は無意味な利権漁りにすぎなかった。

○1997年、脳梗塞で発語障害、車椅子使用となった88歳の宮本顕治氏を議長から引退してもらうには、本人の抵抗が強かったので、相当に時間がかかった。

○1999年の小渕首相との初めての党首討論は、東海村GCO事故の直後だった。しかし、そのこと自体はテーマになっていない。テーマになったのは安保条約の核密約問題で、横須賀を核兵器常時装備の原子力空母ミッドウエーの母港とするとき、アメリカの国務長官はそれはできないだろうとしたが、国防長官が、密約の拡大解釈で大丈夫だと説得しているという手紙のやり取りもアメリカ国立公文書館で入手していた。

○田中角栄時代の日中国交回復の中で、日本政府は尖閣諸島が日本の領土だときちんと主張せずにきてしまった。それが災いして、今も国際的議論の中で堂々と主張できないでいる。

○千島問題でも、日本政府はアメリカのダレスに教え込まれて「択捉、国後は千島ではないので返還を求める」という奇妙な主張をしてしまった。本当は、千島全部が日本領土で、スターリンが強引に奪ってしまった、スターリンによってソ連にむりやり併合された各地域が今独立したり変換されたりしているのと同様の扱いになるべきだ、というべきなのだ。

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