「山口県総合診療研究会」発足めざして
60歳を直前にして、こんなことに熱くなるのはどうなのかとわれながら思うのだが、もしかするとこれからのライフワークになるのかもしれないとも感じる。
一橋大学の猪飼によれば20世紀は「病院の世紀」だったが、21世紀は「地域包括ケアの世紀」だという。
厚生労働省用語である「地域包括ケア」は使わずに、これを私流に言い換えれば次のようになるだろうか。
20世紀後半の医療は病院での急性期疾患治療が大半を占めていたが、21世紀の医療は
①マーモットやイチロー・カワチらが発展させた社会疫学に基づく戦略的保健予防、
②従来の病院治療が発展した高度急性期医療、
③在宅医療学や家庭医療学の発展などに牽引される医療と介護が緊密に結合した総合的な地域ヘルスケア
の3者が同じ比率で並びたつ時代になる。
ところが、厚生労働省や経済産業省での議論は、医師は②に集中させて高密度な専門医療に当たらせたい、①は最初から視野に入らない、③は医師ではなく看護師に担わせたい、そのために「特定看護師」という医師もどきの職種を作りたいということのようである。
私の考えではそれとは逆に①と③は、大病院の外で結びつき、一人の医師にこそ具現化されて行くものである。
貧困・格差など健康を害する社会経済的要因の改善に努力しながら、一次・二次救急や高齢者医療、在宅医療に自ら従事し、同時に地域の多種多様なヘルスケアスタッフの連携の要になっていくような医師が必要なのである。
医師は大病院に集中させ地域は特定看護師で、という路線でなく、大病院で高度専門的医療に従事する医師と地域で上記のような仕事をする医師の比を最低限5:5にすることが必要だと私は考えている。
そのために、まず足元からということで、「山口県総合診療研究会」の設立を考えた。
はやりの大病院の総合医=ホスピタリストでなく、300床未満の中小病院から診療所までに勤務して、高度専門的な医療ではなく、患者の生活に密着する医療の中に喜びを見出す医師が自らの力量と生活条件を向上させていくための組織である。
この組織で、統一した総合医の後期研修プログラムを持ち、山口県に残って総合医療に従事するまじめな若手医師を(大量に=妄想)生み出していく。
さいわい、この趣旨を説明するために訪問した活動的な医師の皆さんには快諾を得ている。
一日の1/2は地域の泥のなかにまみれるような仕事をして、1/4はパソコンの前で自習し、1/8は事業のマネージメントをし、1/8は研究会で仲間や後輩と心いくまで語り合い、給料もそれなりに保障されるという、夢のような老後のために頑張りたいと思う。
*ここで気づいたので補足したいが、社会疫学は臨床医が研究するものではない、ということだ。すべての医学知識と同じように、臨床医は社会疫学の学問的知見のユーザーである。
公共交通の充実が高齢者の健康にどれだけ重要かを臨床医が研究する必要は当面ない。必要なのは、その知識を自治体の政治の中に生かすように医師として社会的に発言することなのである。
| 固定リンク
« 「書いた社は終わりだ」はどうやって実行するつもりだったのか | トップページ | マーモット・レビュー「Fair Society,Healthy Lives」(公正な社会と健康な人生)仮訳 再掲 »
コメント