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2011年7月13日 (水)

トンネルじん肺(珪肺)の見方では、造船所じん肺(石綿肺)の診断はできない

造船所の下請け労働者たちがアスベスト曝露によりじん肺となり、僕の診断書を基に労災認定された。

問題はそのあとである。一般に正規職員たちは会社から民法上の補償も合わせてなされるが、下請け労働者にはそれがない。そこで初めて下請け労働者が親会社を訴える裁判がおこされた。

先日その判決が新聞報道されたが、その内容は驚くべきものだった。

そもそも今回の被災者は、トンネルじん肺のような遊離珪酸による珪肺ではなく、造船所でのアスベスト曝露による石綿肺だったのである。その病像が違うのは当然である。それが、あたかもトンネルじん肺におけるようなX線上の粒状影やCTにおける小葉中心性陰影がないので、これはじん肺でないという判断を裁判官がしている。

アスベスト曝露による陰影は不整形陰影であるが、この陰影は単純XPによるじん肺診断で不当に軽視されてた経緯がある。珪肺に伴う粒状陰影ばかりが重視されてきた。またCT像は、あまり特徴のない肺線維化であり、この読影については明確な判定基準も示されて来なかった。そこを口実として、この判決はじん肺を否定しているのである。

さらに驚くべきことに、判決はすでに行政が認めた労災認定をも否定している。

なぜこういうことになったかというと、会社側が依頼したじん肺の「権威」たちが「典型的的珪肺所見がなければじん肺ではない」という意見を述べ、それに反論した僕がしがない「町医者」にすぎなかったからである。

僕の意見書では次のようなことを言っている。

「じん肺には2大類型をなす珪肺(所見は小葉中心性の粒状影)と石綿肺(所見は線維化による不整形陰影)があり、かつ最近では、その混合型(MDP mixed dust pneumoconiosis)も増えていることが注目されている。じん肺診断にあたっては、職歴を参考にしながら慎重にじん肺所見の有無を論じなければならない。
 『典型的的珪肺所見がなければじん肺ではない』というのは、MDPも石綿肺の存在も否定するもので誤っているとしか思えない。

 なお珪肺でもMDPでも、初期には、貪食細胞macrophageが粉じんを貪食して集合しただけでその他の変化を伴わない時期がある。この時期は、顕微鏡的組織象ではじん肺であるのに、X線上は所見を呈さない可能性がある。したがって、ある時点のX線像を見ただけでは「じん肺ではない」と断定することはできないことも留意されなければならない。
 
 次に珪肺とMDPのCT像は、結節の大きさで見え方が異なるとされている。、≪じん肺の権威である≫審良らはX線像での小さな結節は、CTでは結節として認めにくく結節周囲の肺気腫のみが認められるとしている。
 したがって、たとえCT上で結節影がないからと言っても、X線で描出される結節像の意義を否定することはできないのである。

 もう一点注目しておくべきことは、珪肺症における病的変化は結節とその周囲の肺気腫のみではなく、びまん性間質性肺炎も生じうるということである。これはX線、CT上、この後に述べる石綿肺とも酷似する所見を呈する。この点からも、CT上典型的な珪肺像(小葉中心性結節像)がなければ、じん肺ではないとする主張は誤っていると言える。」

この意見が、全く無視されたのは正義に反すると僕は考えている。

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コメント

ひどい判決ですね。というより日本の司法の腐り具合が酷いですね。

投稿: 元外科医 | 2011年7月13日 (水) 21時44分

コメントありがとうございます。
東日本大震災を乗り越えて先生が発信を始めたられたことを心から喜んでいます。

投稿: 野田浩夫 | 2011年7月21日 (木) 22時23分

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