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2011年7月26日 (火)

生存権、正義論、健康権の関係・・・川本隆史「NHK白熱教室JAPAN」を見ながら

ロールズ「正義論」(紀伊国屋書店、2011年)の新訳を翻訳した、東大の川本隆史さんが、7月24日のNHK教育「NHK白熱教室JAPAN」という番組で「ヒロシマからフクシマへ届けられるもの」をテーマに講義したのを見た。とても面白かったが、まだ前編に過ぎず、後編が7月31日にあるので感想をいうのはそれを見てからにしようと思う。

余計なことを言ってしまえば、以前に「白熱教室」の始まりとなった、サンデル教授のハーバード大学での講義の放送をNHKで見て、そこでロールズが話題の中心に取り上げられているのに驚いて、つい勢い込んで川本さんに報告したとき、彼がほとんど興味なさそうだったことを思い出す。

その後、自分が「白熱教室をやってしまう」ことなどその時は考えなかったのだろう。

ところでロールズの正義論は今の僕の仕事の核心に触れる問題である。

僕がいま考えているのは、生存権から健康権への発展ということであり、極端にいえば、生存権を否定して健康権を打ち立てるということである。

こう書いてしまうと、生存権の否定、という表現に怒る人が出てくるのは当然分かっているが、ここでいう否定とは弁証法的なもので、発展の一過程に過ぎないといえば分ってもらえるだろうか。

だれでも知っているように、生存権は日本では日本国憲法25条①「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」に根拠がある。

ふたたび余計なことを言えば、9条は第2項が重要で、25条は第1項が重要というのは、僕が渡辺治さんの本から学んだことである。9条第1項も25条第2項も常識レベルのことに過ぎず、本当に画期的なのは9条2項と25条1項である。25条1項は、のちに広島大学長となった社会党代議士森戸辰男が全精力を傾けて憲法に明記させたものである。

問題は「最低限度の生活」とされているところにある。健康が最低限度ということがあるのだろうか。

ここで健康の持つ意味がよく考えられなければならない。

健康がどのように規定されるかについて決定的だったのは、マーモットやウイルキンソンたちによって発展させられた社会疫学である。

健康を決定するのは個人から見れば社会経済的地位であり、集団的には見れば社会がどの程度平等かである。いずれにしても健康に個人責任はない。

このことから結論されるのは、それを回避する方法があるのに著しい健康格差を生じているなら、その健康格差は不正義である、ということである

逆に社会に正義が実現されているかどうかを判定するには、健康格差の程度を測定すればよいことになる。これはアマルティア・センも言っていることである。

ここで、「正義」という言葉が出てくるのだが、それはロールズの正義論によっている言葉である。 以下は正義と健康に関する、私なりの検討だが、我ながらうっとうしい議論の運びになっているので小文字で記録しておく。

まずロールズの正義についての概要から。

第一原理 

 各人は基本的自由に対する平等の権利をもつべきである。

第二原理

  第一原理により生じる社会的・経済的不平等は次の二条件を満たすものでなければ許されない。

①公正な機会の均等という条件のもとで、生じたものであること。(機会均等原理)

 ②それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること。(格差原理)

健康の不平等は自由競争を是とする第一原理の結果として生じる。しかし、それは貧困な人の利益になっているとは絶対に言えないため「格差原理」に違反し、同時に健康が人間活動の文字通りの基本であるという他にはない特徴からして、ある社会的生活の段階の結果として健康が不平等になれば、それは直ちに次の段階での「機会均等原理」違反となるため、健康の不平等は不正義と判定されるのである。

こうして、健康については平等でない限り正義はないのだから、最初から格差を容認する表現である「健康に基づく最低限度の生活」、言い換えれば「最低限度の健康」は人権の実現としては認めがたいのである。

実際面においても規制改革会議が「公的医療は必要最低限度にして、そこを超える部分は自由診療にする」というとき、「最低限度の健康」があるということを前提としている。規制改革会議のメンバーにとってはこれでもなお、日本には生存権があるとされうるのである。

ならば、僕たちとしては、ここで思い切って「生存権」という言葉を捨てて、「到達可能な最高の健康を目指し、保障する健康権」こそを選ばねばならない、ということになるだろう。

生存権と正義と健康権の関係をまとめてみると、

生存権⇒健康格差の容認⇒(ロールズ)正義の原理への違反⇒健康権への発展

という図式になる。

このため、次の課題として、憲法25条を健康権保障の根拠として読むには、どういう読み替えが必要かということが浮上する。

金沢大の井上によれば、到達可能な健康を保障することが国家の最低限度の責任だと読めばいいということである。

しかし、これは歴史的難問であり、僕なぞが関わることではないようでもある。

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