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2011年6月24日 (金)

迂闊な話

ある歌手が全日本民医連を通じて一つの歌を東日本大震災の被害者と支援者に贈ろうとした。

僕はそのDVDを見て、歌手と歌自体があまりに美しすぎて、今見てきたばかりの震災被害にはとうていふさわしくないと思い、いつの間にかそのことを忘れていた。

二日前、ふとその歌の歌詞を読んだ。

何と迂闊なことだったのだろう。

「かわいらしい歌だが、その歌詞にはとても深い意味がある」と歌手本人が語っていたのに、その時は被災地の記憶に圧倒されて気付かなかったのだ。

そもそもが、阪神・淡路大震災のとき、それをテーマに作ろうとした作品のためのものだったということである。

その歌手と歌の名前は Natliya Gudziy 「いつも何度でも」。http://www.youtube.com/watch?v=6JiOQ1UBkzU

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