猪飼周平「病院の世紀の理論」有斐閣2010・・・マーモットらの開拓した社会疫学に基づく予防医療、先進大病院にタコつぼ的に閉じこもる治療医療、地域に広がる包括ケアの3勢力によって21世紀の医療の地図は描かれる(野田)
今年40歳の経済学畑で医療史を専攻している人の本である。
(1)あとがきでも明らかだが、いまのところ、この本に書いてあることを根拠にして何か主張することはできない。仮説を提示しただけの本で、その後は自分で考えるしかないという、読んでいてまことに厄介な気分になる本である。その意味ではグールド「内部の敵」に似ている。
ではここにある仮説とは何か。
とりあえず、医療の中心が病院による治療に独占されていた20世紀という時代(すなわち「病院の世紀」)は終わり、21世紀は、医療の目標として、病院による治療のむしろ上位の位置に、包括ケアによるQOL向上が着くだろうということである。その時の医療は病院と包括ケアという二つの中心を持つ歪んだ楕円形になるだろう。
その時医師はどうするか。自己が圧倒的に優位でい続けられる病院による治療にタコつぼに入り込むように立てこもるか、たとえ相対的に地位が下がろうと包括ケアのなかに新たに自己の位置を見つけていくかである。
21世紀にも治療の進歩は必要だから、先端医療の開発に全身挙げて取り組む医師はいつまでも必要である。もしかすると、すべての医師がその道を選んでしまう可能性も否定できない。その時は必要医師数はもっと少なくなり、包括ケア中の医療分野では医師がいなくなって看護師が医師と交代するだろう。
しかし、包括ケアのなかでの患者との交流に魅力を見つける医師も多く、また包括ケアの中には未開拓の医療課題も多い。包括ケアから医師が消えてなくなることは予想しにくい。
となると、将来の医師は二つに分化して、片方は先進巨大病院に立てこもり、他方は中小病院に立脚しつつ包括ケアのなかに医師の担う分野を確立するだろう。
また視点を変えると、大病院が独占してきた治療医療が、疾病傾向の変化の中で、二つの方向から役割を狭められていることもはっきりと見えてくる。
ひとつはマーモットやイチロー・カワチらの作り上げた「社会疫学」という強力な武器を手にした予防医療であり、もう一つはQOLを旗頭にした包括ケアへの流れである。
この三つが拮抗する勢力として21世紀の医療の地図を作っていくのである。
これからの医師は、予防、治療、包括ケアの3領域に目を配りながら生き方を選ばなければならないということである。
(2)上記はただの感想であるが、地方大学の医局制度の歴史的役割について書かれた第8章が面白かったので、それについても触れておこう。
地方大学の医局は、15-20年かけて一人前の医師を作ってきた。そのゆっくりした時間の流れの中には、僻地の中小病院を回って歩かされる時期もあれば、学位論文を書くためのアカデミックなトレーニングの時期もある。短いが外国留学時期もある。前近代的な人間関係の中に置かれる窮屈さはあるが、それなりに医師を全方位に成長させ、地域の医療が潤滑に運営されていく装置でもあったようだ。
私自身は最初から民医連の病院に入ったので大学医局に身を置いたことはないが、私が入ったころの民医連の医師養成は極めて促成的で、短い実戦的な研修の後では独学で患者に向かい合うのが当たりまえという気風が充満していた。それが面白そうだというのでやってきた医師も相当いたのだが、今から考えると大学医局で研修するより人間的成長の保障は少なかったのだと思う。
ただ、上記のような大学医局で養成される人間像は、地方にいてオペラを趣味とさせるほどある意味全方位的ではあるが、一方、たとえば結婚の世話まで大学医局がしてくれるなどということに象徴されるように、自分が地方社会の上層に位置することを当然とし、貧しい人たちのことを見ないで済ませる人間を作ってしまった。
それが私が毎日吐き気を催しながら付き合わざるをえないスノッブたちが形成されてきた理由である。
その大学医局も、効率においてアメリカの専門医養成にはるかに遅れてしまうことが問題となると、次第に崩れ始める。アメリカ流の専門医教育を売り物にする大都市大病院が現れると若手医師は大量にそちらに流れてしまったからである。臨床研修の義務化がその原因であるように言われるがそれは間違いで、義務化はただのきっかけだったに過ぎない。
そうなると、大学医局も大都市大病院の模倣をする以外に生き残りようがなくなるので関連病院は大学と対等の大病院だけにしようとする。DPCはそのときどこを関連病院として残すかについて貴重なデータを与えてくれるものになるだろう。それとは逆に僻地の小病院を関連病院にして医師を何年もそこに置くという悠長なことはできなくなる。僻地の小病院は医師供給を断たれてつぶれるしかなくなる。
では、今後の地方の医療はどうなるのかということが問題になる。専門医コースに乗り切れなかった、いまや志も気力もない≪負け医師≫を拾うしかないのか?
そうではなくて、最初からその場を担う医師を作るべきだ。そのとき、かっての地方大学の医局の悠長な全方位的な医師の育て方は残したい。研究のトレーニングや外国の見聞は保障したい。そういう医師を育てる共同体を地域に作るのが私の仕事であるような気がしてきた。
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