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2011年5月28日 (土)

5月の終わりに・・・大石又八さん(「世界」大江健三郎氏)か又七さん(しんぶん赤旗)か、それとも二人ともいるのか?→「世界」6月号に訂正記事が出ていた

5月末となって3月11日の東日本大震災から80日がたち、民医連や日本医師会の医療支援もこれで一応区切りがつくことになった。

全日本民医連からのニュースを読むと、ようやく宮城民医連が、事業所のない石巻市などでなんでも相談会を開き始めている。

率直に言うと私は民医連の大拠点病院である坂病院の救急機能を維持することを中心にした支援には若干疑問を持っていた。阪神大震災の時は、被災地の真ん中に民医連の拠点病院が二つあり、その機能を維持するこの意味は誰も疑いようのないことだったが、今回は、被災地が極めて広く、被害のもっとも激しいところには民医連の拠点病院はおろか、診療所さえなかった。その時民医連の拠点病院を守るというだけでは民医連の使命を果たすことにならないのではないか、被害の最も激しいところにすぐ臨時拠点を作って乗り込むべきだという思いが続いていた。しかし、現実にはそれができる条件はなく、いまできることを粛々と進めるという支援になった。

しかし、こうして、一定の時期が過ぎ、宮城民医連自身が独自に石巻や、さらに南三陸に活動を広げていき始めると、被災者の生活再建のなかで最も困難な人の立場に立って活動するという民医連への期待が高まって、そこから拠点づくりが始まっていくのかもしれない、そのなかで宮城民医連自身も大きく脱皮していくのかもしれないという希望が広がってきた。落下傘部隊をいくつ派遣しても長期の力にはやはり成れないのだと私自身は考えを少し変えた。

また、1995年の阪神大震災にあたって、村山氏を首相とする自社さ政権は「資本主義社会において生活再建は自助努力が基本」と言い放って、支援の手を差し出そうとしなかったが、市民の強い運動で1998年に「被災者生活再建支援法」が成立し、その後何度か改定を繰り返されて2007年は住宅再建にも200万円が交付されるところまで来た。最近知ったのだが、この改定は阪神大震災の被害者にさかのぼって適用されることはなかった。2007年の能登半島地震に適用されたのが最初となったのである。それにもかかわらず阪神大震災の被害者の皆さんは運動を続けていて、東北大震災復興にあたっても、この制度のいっそうの前進を提案している。

雑誌「世界」5月号では、内橋克人さんは「一定の環境条件を満たした住居に住む権利は、人間として最も基本的な生存権だ」とする国連人権規約第11条を紹介している。今後、東北の人たちを中心に、生存権、健康権、憲法25条の実現に向かうこの要求が広がり、民医連や医療生協がその中で大きい力を果たしていくのだと確信する。

福島原発問題については、いろいろ考えさせられることがあるが、核兵器廃絶と原子力発電所問題を結びつけて考える姿勢が大切だと思う。

前記の雑誌「世界」5月号のなかでは、大江健三郎さんは、故・加藤周一さんが枕草子になぞらえて、「近くて遠きものとして」原爆と原発を分けて考えてしまいやすいが、本当は両者は極めて近いものだとして、原発の全廃を訴えていたことを紹介している。また、大江さんは第五福竜丸で被爆した漁師でありながら、原子力発電の危険性も批判し続けている大石又八さんのことを取り上げていた。

5月23日の赤旗を見ると大石又七さんへのインタビュー記事がある。その中では、ビキニ環礁での水爆実験に際して、被害補償を求めない代わりに日本政府は原発建設のウラン燃料と技術情報をアメリカからもらったという驚くべき話も紹介されていた。

*ここで 僕は又七さんなのか、又八さんなのか迷ってしまった。もしかしたら二人は兄弟で、同じ第五福竜丸に乗っていたのかもしれない。・・・その後雑誌『世界』6月号では冒頭に、又八さんでなく又七さんであったという訂正記事があった。

民医連も福島被災者支援には、民医連が積み重ねてきた原爆医療のなかでの科学的認識や経験を大いに役立たせようとしている。それは低線量被曝、内部被曝への注目、放射線被災者への差別・偏見の克服の課題である。低線量被曝といっても、いま福島の原子炉から漏れ出してきた放射能は広島原発の数千倍であり、低線量・内部被曝の蓄積が広島とは比べられないほど続きく。飯館村ではすでに広島原爆の際の入市被爆程度に至っているとみられ、今後の補償が大問題となるだろう。

これから全国に散らばっていく福島の被災者は私の地元山口県でも受け入れることになろうと思うが、私たちも原爆被爆者医療のささやかな経験を生かして、支援の先頭に立つ用意をしておく必要があると考えている。

原発問題のもう一つは、もう原発は作らせない、今あるすべての原発を廃炉にするという運動の重要さだ。5月27日に山口県周南市議会が「上関原発、建設中止」という県に向けての意見書を採択したのが全国的な大ニュースになった。今進めている署名とあわせて、全県で自治体に決議を挙げさせる運動も強化しなければならない。

さらに、来年は山口県知事選があるが、この選挙では「脱原発」の山口県政をつくるという目標が当然上がる。山口県出身の環境エネルギー専門家に飯田哲也という人がいる。同じく「世界」の5月号に掲載されている鎌仲ひとみさんとの対談で、地方の日本人が電気を使って払う金はすべて東京や国外に出ている、いくら特産品を売ってもそれには遠く及ばない、地域で自然エネルギーを使えばそれだけ地域が豊かになるなどということなどと面白いことを言っている。

あっ、この方法を使えば、繁栄する大都市に対して、衰退する地方は少しでも盛り返せるのだと私は気づいて、その単純さに驚いた。

例えば、こういう人が知事になってくれたら山口県も変わるのにと本気で思う。

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