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2011年4月21日 (木)

日々の臨床

Lynn 、Adamsonによると高齢者の終末期には3つのパターンがある。

1)癌
死亡の数週間前まで機能は保たれ、以後急速に低下。
意識や認知能力は通常最後まで保たれる。

2)心臓・肺・肝臓等の臓器不全
時々重症化しながら、そのつど不十分に回復。
長い期間にわたり機能は低下。

3)老衰・認知症等
長い期間にわたり徐々に機能は低下。
末期には食事を自分で摂取することができない。

医療側にも家族にもこのパターンが共通の認識になっていないと、不全感が強く残るエンドーオブーライフ ケアとなってしまう。

私が最近経験したのは膵癌症例である。

以下、問題を理解しやすくするため、事実を若干変えて、経過を記録しておく。

数か月前に私による超音波画像での診断をもとに近くの大病院に紹介し、予定通り超音波内視鏡下の吸引細胞診で確定診断が着いたものの、初診時すでに肝転移もあったので、引き続く同病院での化学療法は奏功しなかった。患者はある時点から急速に衰弱した。

問題はこのときの家族説明のあり方と当院入院の仕方である。今後の癌の終末期の経過は急転直下だという類型の説明は何もなされぬまま、家族希望で急遽の当院入院が決まっている。紹介状は患者入院と同時に届けられた。

家族は化学療法による一時的悪化であり、そこを乗り越えれば、あたかも、「3)老衰・認知症等」による終末期のような穏やかな日が来るように考えており、入院後の急速な悪化をとうてい受容できず、入院後の急速な悪化は入院治療の弊害、たとえば疼痛管理を最重要事項として急いだ麻薬投与などによると考えた(そこには痛みは薬を使わず我慢させた方が回復が早いという認識がうかがわれた)。それは短い期間の中でのにわか主治医の説明で覆るものではなかった。

したがって、この方のエンドーオブーライフ ケアは私がめざすものとは遠く離れた姿となり、家族も治療者も傷つくという結果になった。

振り返れば、癌での終末期という共通認識が、大病院主治医―本人・家族―私・当院メンバーの顔を直接合わせた場で形成され、治療方針も合意された上で転院してもらえば良かったのだ。

いくら「経過が速い」と言ってもこれくらいの余裕が与えられて仕事をしたい。

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