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2011年4月18日 (月)

菅野昭正編「知の巨匠 加藤周一」岩波書店2011、および雑誌「世界」5月号 ①私たちは、核兵器と原子力発電所は『近うて遠きもの』ではない、『遠きて近いもの』だと考えなくてはならない②「日本は強い国」だから日本が一つになって震災から復興できるのではない、日本には憲法25条があるから、その目標で日本が一つになり、復興も可能になるのである、東日本大震災は憲法25条が日本に根付くかどうかをかけた大きな分岐点となる

4月17日から20日まで、会議出張を利用して3冊の本を読み、美術展も一つ見てきた。

会議の主題は東日本大震災と福島原発事故に対する私たちの5月以降の行動計画であり、確かに意気高いものであったとしても、話の内実は痛苦に満ちたものであり、僕としても精神的な平衡の上でどうしても読書と絵の鑑賞に頼らざるをえなかったということである。

読んだものを順に書くと、内田 樹「寝ながら学べる構造主義」文春新書2002、菅野昭正編「知の巨匠 加藤周一」岩波書店2011、北村行孝・三島勇「日本の原子力施設全データ」講談社ブルーバックス2001。何れも気軽に読める類のものである。

美術展は渋谷のbunkamuraザ・ミュージアム「フェルメール『地理学者』とオランダ・フランドル絵画展」。渋谷は若い人が多すぎてあまり足を向けたい所ではなかったのだが、「地理学者」は以前の公開を見逃していたので、のこのこと出かけた。案の定、道に迷ったりしたが、思ったより空いていてゆっくり目的の絵を眺めることもできた。

地理学者が着ている丈の長い上着はなんとなく日本の着物に似ていると思っていたが、解説によるとやはり、日本の着物を真似したもので、当時の富裕なオランダ人がステータスを示すものとして着ていたとのことである。音声解説が軽くて俗っぽかったのが気になったが、それも最盛期のオランダの浮ついた雰囲気に合わせた思慮深いものだったのかもしれないと後で考えた。

ところで、本は何れも気軽に読めるものと書いたが、それぞれ相当に面白かったので順次メモを残しておくことにする。

最初は菅野昭正編「知の巨匠 加藤周一」を取り上げよう。

菅野昭正はミラン・クンデラ「不滅」集英社1991の訳者としか僕は覚えていないが、世田谷文学館の館長をしており、世田谷が加藤さんの終焉の地となったので加藤さんから何を継承すべきかを探ることがこの施設の責務と考えて連続講演会を企画したとのことである。この本は、その講演会の記録を中心にして作られたものである。そして発行日は3月10日、震災の前日となっている。

講演を順番に紹介するのは骨が折れるのでやめる。

重要性からいって大江健三郎講演「いま『日本文学史序説』を再読する」にまず触れなければならない。

次のように大江が言っていることが、原発事故の起こっている現在とくに大切だからである。

43ページ

「広島と同じようなことが、今の日本の各原子力発電所で起こりうる。

しかもその規模は、広島核爆発を大規模に超えるものである。そうなる前に私たちは、核兵器と原子力発電所は『近うて遠きもの』ではない、『遠きて近いもの』だと考えなくてはならない。

そして、核兵器を本当になくそうと思えば、核発電所もなくすし、あらゆる核爆弾を一個残さずなくすという体制を作らなければ、地球上の人間に核兵器をなくすことはできないだろうというのが加藤さんのお考えです。

これは、政治的、社会的、世界的な、すべての状況をくるみ込んでの加藤さんの主張でありました。加藤さんは最後の病気になられても、そのことを考え続けられたはずと私は信じています。」

しかし、原子力発電所の過酷事故はこの本が出た直後に起こってしまい、大江健三郎は雑誌「世界」5月号でまったく同じことを書かなくてはならなくなった。

次は池澤夏樹講演「雑種文化と国際性」に飛ぶ。

117ページ

「では、もう一つの日本を理想化する考え方はどうか。

それが全部だめだと言っているのではないのです。無条件な理屈なしに、何より素晴らしい日本というのでは駄目だと言っているのです。

・・・大事なのは、ただ日本が一番というのではなくて・・・いかなる達成をしたか・・・何によって我々は自分の国を誇ることができるのか・・・。

いま、日本が誇るべきは・・・憲法九条です」

ここで池澤にならって、しかしこの時点では池澤が言ってないことを僕は言っておかなければならない。

巷に垂れ流されている官製コマーシャルが言うように「日本は強い国」だから日本が一つになって震災から復興できるのではない。

日本には憲法25条があるから、その目標で日本が一つになり、復興も可能になるのである。そうならなければ復興はなく、支配者に都合の良い地域の再構成と棄民があるのみである。

阪神大震災に際しても、、政府は『被災者の生活再建は自助努力が原則』と言い放った。

この姿勢を改めさせ、自然災害によって破壊された生活基盤の回復をすみやかに行うことこそが国家の責務・国家の存在理由ではないかと主張して故小田 実や早川和夫らが市民提案の「被災者支援法(案)」を呼びかけた結果、1998年5月には「被災者生活再建支援法」が成立した。

しかしこの法に基づく2003年末の「居住安定支援制度」では、資金使途が被災住宅の解体・撤去・整備に限定され、住宅再建自体への支援制度はないままに残された。

その後2004、2007年と法改正がなされ、現在では住宅の新築にも最高額200万円が渡される。しかし、それだけで終わって、住宅の二重ローンや、会社形式にしている自営業者の再建問題は放置されっぱなしである。

それを併せ考えるとまさに、東日本大震災の復興こそは、憲法25条が日本に根付くかどうかをかけた大きな分岐点、強く言えば決戦の場となるのである。

 

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