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2011年4月19日 (火)

内田 樹(たつる)「寝ながら学べる構造主義」文春新書2002

2002年のベストセラーであるこの小さな本をあえて読もうと思ったのは、2軒の書店で同じく文春新書の棚にあるはずの「原発革命」を探して見つからなかったから、仕方なく何か買おうと思ったからに他ならない。

この著者のものは以前から面白そうと思っていたが、同時に武道家であることが頻繁に宣伝されていたせいで、忌避していたのである。

しかし、偶然手に取ったこの本は良くまとまっていて分かりやすく、一晩で読むことができた。

この本によると、構造主義とは、(人間の意識はその外部に独立して存在する構造に依存するものでしかない)という主張であるらしい。

そう定義する限り、その外部の構造として、マルクスは生産関係を、フロイトは意識の外にある広大な無意識を、ニーチェは全員一致を望む大衆社会を提案することによって、構造主義者とされるのである。

とくに興味深かったのは、現代の私たちの歩き方、すなわち手と足を左右逆に前に出して歩く方法も、明治の国民軍隊形成の結果だという話である。

それ以前は、私たちは左右同じ側を前に出して歩くナンバという形を取っていたという。となると、現代日本人の歩行を決定したのは長州人・山県有朋にほかならない。

自然に行っているような歩行も、このように外部から強制されているものだったのである。

そしていま新たな身体への強制として行われているのが「体育すわり」がある。この不自然で屈辱的な姿勢を強いられ、それに慣れていくなかで生徒は学校教育に従属する存在に仕立て上げられつつある。

歩行や座位姿勢さえこのように外部からの強制を受けているのなら、思考や教育が自然に行われているわけはなく、すべての思考や教育は偏見を強制されているということになる。

(スピヴァクが、学習して特定の知識を得ることはそれ以外の大切な事実を黙殺することを強制されるに等しいので、人間が偏見から自由になるためには、学んだことは直ちに捨て去らねばならないと主張したのもこれに似ている。柄谷が日本文学の起源を明治の国家形成に求めたのも同様である。)

こうして、人間の固有の本質が存在すると思うことなど幻想に過ぎないとするのが構造主義である。

僕が勝手に考えるこの定義はおそらく間違っているのだろうが、ここで僕が思うのはマルクスのことである。

マルクスは人間の本質を否定などしなかった。鈴木 茂、粟田賢三、尾関周二などによれば、マルクスの考えた人間の本質は社会的共同性であり、それを担うものは言語と労働だ。確かに意識は人間の置かれた生産関係によって規定されるが、両者の関連も社会共同性という人間の本質の歴史的に規定された現象形態なのである。

社会的共同性が歴史的に発展して高度化していくと見るかどうかはわきに置くとして、レヴィ=ストロースがすべての社会に共通の構造として抽出した2点も、人間の社会的共同性という人間の本質の現象形態に他ならないのではないか。

そうであるとすれば、上記の構造主義の定義は破綻するのではないか。

人間の意識をその外側から決定してしまう「構造」というものも、人間が内側に持つ人間の本質によって形成されたものである。では人間の本質がどうやって形成されたかは進化という歴史的なものを想定する以外になく、人間は外部に影響されながら自らを作り上げていったということになる。

・・・と、ほとんど無意味なことを考えながら、震災対策のため特別に緊張と不安の強かった会議前の東京のホテルの一晩を、この本のおかげでリラックスしながら過ごすことができたのである。

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