堀田善衛「方丈記私記」1971、問題は原子力発電所の今後だ
数日間、宮城県東松島市の4か所の避難所を回っている中で、空いた時間に僕はこの本を読んでいた。
実はずっと以前に買ったのに、古文が難しすぎてなかなか読み通せなかったのである。しかし、未曾有の災害現場のなかにいて、ようやくこの本は僕の心の中に流れるように入ってきた。
本は読まれるべき時を待っているというのは本当である。
鎌倉三代将軍源実朝と同時期に生きた鴨長明は、エッセー「方丈記」に当時の日本や京都を襲った戦乱、火事、地震、津波について可能な限り実見聞をもとに記録している。
時代が下ること700年、1945年3月10日の東京大空襲に出会った堀田善衛は、鴨長明と自分を重ね合わせながら、被害の激しかった東京の下町を歩き回った。
そこで堀田善衛が衝撃を受けたのは、焦土と化した江東を巡視する昭和天皇に被災民が土下座して、被害を被ったことを口々に詫びていることだった。
いまこそ、自分たちをこのような目に合わせた最高責任者に詰め寄り糾弾して日本を変える時なのに、逆に被害者が加害者に詫びているのである。こうして古い日本は第2次大戦を生き延びえた。
そのような不条理を目の前にして、大戦争・大災害の中で生き延びた古い日本とは何か、それでも何を展望すべきかを、堀田善衛は「方丈記」を精読することから考えていく。
鴨長明は、ただ一人貴族でない身分で宮廷の和歌所の寄人に任命される。当時の歌の第一人者である貴族・藤原定家には地下人と激しく蔑まれて差別的な扱いも受けている。
長明が認識した和歌の本質とは、300年前の古い歌の応用・変形に終始するもの、すなわちフィクションの上にフィクションを重ねる「本歌どり」に過ぎず、そこにはまったく現実が反映していないというものだった。
したがって、300年前の古典を学ぶのに少々の努力は必要だが、いったんそれを覚え本歌取りする枠組みさえ知ってしまえば和歌づくりはしごく簡単なものだと彼は喝破する。その鋭い眼は当然周囲の反発を呼び、長明は不遇のうちに晩年に至り、世を捨て、京都郊外に小さな家を作り、乞食のような生活をしながら著述に励むこととなる。
当時の政治情勢は、文化的な権威を保ち続けた宮廷貴族、権力を握りながら文化では宮廷に呑み込まれていこうとする武家政権と、彼らが全く見ようとしなかった災害にあえぐ大多数の庶民からなっていた。
*見たくないものは見ないで済ませることができることを「特権と」呼ぶとスピヴァクが言っているのは正しい。
その社会の両端を同時に見ることができたその時、初めて彼には歴史が見えたのだと堀田善衛は言っている。
それは、東京大空襲後を歩き回って、巡視する昭和天皇とそれにひれ伏す被災民の姿を見た堀田と重なるものである。堀田の見た光景こそ、フィクションの上にフィクションを重ねる文化構造とそれに支えられる権力構造だった。
しかし堀田は、世を捨ててそれを認識したに留まる長明の姿勢を批判せざるをえない。それだけでは、フィクションの上にフィクションを重ねる日本文化と権力の構造を覆せない。
そして、彼はそれを成し遂げようとしたものとして、長明が庵を営んだ山の麓の日野の里に70年後に生まれる親鸞を見出す。
親鸞こそ、天皇を敵と宣言して、庶民救済をめざす自らの宗教を打ち建てた人だった。
細いながらも長明ー親鸞とつながる系譜が浮かび上がる。
しかし、20世紀の堀田の前には、まだ本歌取りを本質とする空虚な文化構造とそれを支えにしている権力構造が続いている。今後、長明ー親鸞の系譜はどのように現われるものだろうか?
これが「方丈記私記」の僕流のざっとした紹介だが、今これを読む意味はどこにあるのだろう。
地震・津波被害はどんなに激甚であってもいずれは復興するに違いない。しかし、原発事故に現れているのは鴨長明や堀田善衛の見た、フィクションの上にフィクションを重ねる古い日本の支配的な精神構造である。どんなに事故が深刻になろうと、なおも原発は安全だ、あるいはエネルギー政策上は原発は必要だという人々でTV画面は占領されている。
彼らこそ現場で解決に努力している人、多数の避難している人たちの苦難を見ようとしない支配的特権階層である。
原発問題の今に現れている文化的構造、それに支えられる権力構造を払拭することが、長明―親鸞―堀田に現れているもう一つの日本の系譜の仕事なのだということである。
*なお以下の記事は興味深い。http://ameblo.jp/kurenainoneko/entry-10150291478.html宮崎駿講演会「方丈記私記と私」神奈川近代文学館2008.10.11:「平安時代の気候というのは異常気象の時代。彗星が月にぶつかったと言われ太平洋に異変があったと。その頃インカの前の文化が海辺にいたが奥地に移動している。モンゴルも大移動を始めた。世界中でそういう異変が起きた時代でそこに平安時代がある。」
*なお原発問題ではhttp://www.youtube.com/watch?v=4gFxKiOGSDk&NR=1が参考になる。
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コメント
「本歌取り」ですか、関東ローカルですが
「病気療養なさりながら(TBS・大沢悠里)、文化放送、9時からヨコハマロハス(ラジオ日本)」
体調が、よろしければ、NHK第2で8時40分から「ラジオ体操」。その後「まいにちロシア語」(大学で6単位・履修)
投稿: 豊後各駅停車 | 2011年4月29日 (金) 08時31分