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2011年3月30日 (水)

姜尚中『オリエンタリズムの彼方へ』岩波現代文庫2004・・・世界が見えることの知的興奮の代償に、激しい世俗的な疎外感に人は悩まされる

姜尚中の政治的発言には大半賛成するのだが、この本はどうなのだろう。

もちろん、オリエンタリズムの彼方に展望できるものとして、16世紀に始まる資本主義世界システムの行きついた現在のグローバリズムの中でそれに対抗して生まれてくる新しい共同体や寛容なホームhomeの可能性が明確に示されてはいる。

それは最近の柄谷行人が説く「世界共和国=改革された国連=世界同時革命」構想とも大きく異なるものではない。1996年という発表年を考えると、当時としては鋭く先見性に富んだ著作だったのだろう。

だが、文章が必要以上に難しい上に、内容もサイード、ウォラーステイン、フランツ・ファノンらの紹介にとどまっている気がする。

1996年刊行の本を2011年の震災後に読むのだから少し間が抜けて見えるのは仕方がないのかもしれない。

僕にとっては、本文よりも、1970年代後半、30歳を目前に閉塞し鬱屈してやむなく脱出(エクソダス)を果たしたようだったドイツ留学について語る後書きのほうが心に沁みるものだった。

中核部分にいる人ではなく、周辺部分にいる人にしか世界は見えないが、世界が見えることの知的興奮の代償に、激しい世俗的な疎外感に人は悩まされるのである。

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