カート・ヴォネガット「猫のゆりかご」1979ハヤカワ文庫
原爆や原発を作ることがどういうことかを問う小説として、この作品も今読まれるべきである。
広島・長崎原爆を開発したマンハッタン計画のリーダー、ロバート・オッペンハイマーはアラモゴードにおける最初の原爆実験のあと、一発の原爆が一つの都市を完全に壊滅させうることを確認して「今や科学は罪を知った」と発言したが、それを聞いたマンハッタン計画の重要メンバーである科学者ジョン・フォン・ノイマンは「罪ってなんだ?」と不思議そうに言ったという。彼には、原爆で多数の人間が死ぬことがまったく想像できなかったのである。
ノイマンはこのチームの中でも飛びぬけて優秀な頭脳を持ち、戦争後には今日のコンピューターの基礎を作ったという人だが、人間らしい感情をほとんど持たなかったことでも知られている。
この小説は、そのノイマンをモデルとした科学者ハニカーが広島に原爆が投下された日をどうすごしたかを再現しようとする書物『世界が終末をむかえた日』を書いている作家の物語として構想されている。
ストーリーの中心はハニカーが死の直前に、「行軍の妨げになるぬかるみを解決してほしい」という海兵隊の将軍の依頼に応えて、アイス・ナインという、融点45.8度の氷の結晶の種を作ったというところにある。
ひとたびそれが水に触れるや、45.8度以下の温度の場所にある水、すなわち地球上の大半の水が凍ってしまう。
それによって確かにぬかるみは解決され、海兵隊はいくらでも温かい氷の上を歩いてベトナムの奥地に進軍できるが、同時に世界の海や川ははことごとく凍結して世界は滅ぶ。
そういう意味ではアイス・ナインは原発と読み変えることもできる。
*アイス・ナインは架空の氷結晶形態だが、一時評判になった粘性の高い水ポリ・ウォーター(水を細いガラス管に通すと水の分子構造が変わると主張された)や常温超伝導やナノバブルなどに似た、いかにもありそうな架空の物質である。
さて、そのアイス・ナインは、ハニカーの子供3人に分けられて残されていたが、ついにプエルト・リコ沖の架空の島サン・ロレンゾで使われてしまう。常温のまま世界が凍り始めて滅ぼうとする。このとき作家のできることは、人間の愚行の歴史に抵抗したものがいたという証拠を残すことだけである。
ハニカーのような科学者がいる世界では、人間は非人間的なものに抵抗したという証拠を残すことができるだけだということを主張する悲しい物語として小説は終わり、僕たちの前に展望はないままである。
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コメント
セナンクールは『オーベルマン』のなかで「人類は滅亡する定めなのかもしれない。そうだとしても、抵抗しつつ滅びようではないか」と書いています。小生はこの意見に賛成ですけど。
投稿: Tetu Makino | 2011年3月31日 (木) 11時14分
いつもコメントありがとうございます。セナンクールについては何も知らないのですが、ヴォネガットの小説を読むたびに、作者と先生がしだいにダブって見えております。
投稿: 野田浩夫 | 2011年3月31日 (木) 12時25分
いくらなんでも何を読んでいるのかと言わざるを得ない。
この物語のテーマがそれなら、延々前面に出続けるボコノン教は何のために描かれているのか。
原発問題は正直どっちなっと言えばいいと思うけど、これは流石にヴォネガットさんがかわいそうかと。
しょうもないこと言う前にちゃんと”本を”読めよ。
投稿: | 2011年6月13日 (月) 19時07分
コメントありがとうございます。
小説を十分読み込んでいるという自信はありませんが、これはこれで私の読み方なのでご理解ください。
「アイス・ナイン」が原子力の比喩として使われていることも間違いはなく、カート・ヴォネガットがもし生きて今回の事件に遭遇したら、私と同意見になると思います。
投稿: 野田浩夫 | 2011年6月13日 (月) 20時27分