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2011年2月14日 (月)

「絶望は虚妄だ 希望がそうであるように」(ハンガリーの詩人 ペテーフィ・シャンドル 竹内好訳)・・・茨木のり子「椅りかからず」筑摩書房1999 

友人が「椅りかからない生き方がしたい」という話をしていたので、今朝の外来の診察室で上記の詩集を再読してみることにした。

ベストセラーになった詩集だったのでなるべく書棚から持ち出さないことにしていたのだが、発行から12年も経って、もはや職場で開いて読んでいても恥ずかしくなくなっている。

詩集の最後に「ある一行」という詩があって、その一行が冒頭のフレーズなのである。中国革命の最も苦難に満ちた場面で魯迅が引用して有名になった言葉でもある。

私も医師生活の最後の時期にさしかかって、いろんなことに先行きが見えず「これが絶望というものだろうか」と思うことがある。

だが、それに対になるものとして「新人医師のころには希望に満ちていたのに」という言葉を考え出してみれば分かるのだが、新人医師の当時だって決して希望に満ちていたなどとは言えず、同様に今も絶望だけがあるわけではない。

結局はそういうことだ。新人医師の希望も虚妄であれば、老年医師の絶望も虚妄である。

なすべきことのみを考えて淡々と歩くだけでいいので、絶望だの希望だのという言葉を口にしないことこそ肝心なのである。むしろ、そういうことを思い知るため、絶望と希望という二つの言葉は用意されているのだ。

いよいよまぎれもない死期を悟った短い時間にのみ、それらの言葉は解禁されるのだろう。

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