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2011年1月25日 (火)

幸徳秋水処刑死100年と社会疫学

昨日、1月24日(月曜日)は、まさに1911年1月24日秋水幸徳伝次郎が明治政府の憎むべきフレームアップによって無念の処刑死を遂げて100年目の記念すべき日だった。

前日の日曜日、僕は病院の日直をしながら、幸徳秋水ー石川啄木と連なる日本の正義の系譜の上に、社会疫学を置く作業を続けていた。

「時代閉塞の現状」1911.8で強権的明治国家を「敵」として意識すべきことを啄木は強調した。それによってこそ時代の閉塞が打ち破られることを彼は「明日の考察」として期待した。その翌年には、彼は26歳の若さで結核死するのだが、1911年に次のような短歌を残している。

「わが病の

その因るところ深く且つ遠きを思ふ。

目をとじて思ふ。」

まさに明治絶対主義国家が彼の病気を作り出し、彼の生命を殺しつつあることを啄木は見抜いていたのだった。

実はこの直観こそが社会疫学の結論である。幸徳秋水ー啄木と受け継がれたものは100年を経て、ようやく科学的な証拠を携えて僕たちの前に現れた。

平等の実体は人々の健康や潜在能力開花の中にあり、それによってしか測ることが出来ない。これが社会疫学の到達点である。

社会の正義や公正が平等を当然の要素とするなら、社会正義をめざす国は健康を平等の指標におかなければならない。なぜなら平等でなければ健康はないからである

例をキューバにとると、キューバの場合、政権が徹底した平等志向を持っていたため、貧しい中でも国資源の大半を教育と医療に注ぎ、途上国の中では群を抜いた平均寿命や健康度を達成しえたのである。

キューバの現象は、予防や健康への努力が成果が挙げた一例に過ぎないように見えるが、その背景は、カストロの愛読書であるルソーの「社会契約説」に起源を持つ平等志向である。

ひとびとの健康を決定するのは社会が平等かどうかにかかるので、社会が平等ならば必然的に人々が健康になるというのはあくまでことを大局的にみた理念上の話で、現実には平等志向の政権が樹立されて健康最優先の政策を選択する、それを基礎に平等が進行するという、理念とは逆の進行形態をとる。

健康と平等はそのように相互に依存し関連した関係にあるので、分けては考えられないとも言える。(無理に分けて考えようとすると、鶏が先か、卵が先かという感じで混乱してくる)

ここで、話を医療人の人生にぐっと狭めると、僕たち医療人が社会からの幾許かの尊敬を自分たちの人生の糧として欲するのであれば、その社会や政権が平等をめざすものでなければないだろう。

啄木の後に続け、と医学生に言いたくて、僕は100枚以上のプレゼンテーション資料を作った。それを語りぬく十分な時間は与えられてはいないのだが。

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