今年最初の読書:中島和江・児玉安司編「医療安全ことはじめ」医学書院2010.11
正月に読み終えた本。これまで読んだ医療安全の本の中では最もわかりやすく学ぶことが多かった。
以下はそのメモ。
○画期的だと思うのは、医療の質・安全の研究は、数字に還元して表現できる従来の量的研究の方法、すなわち「はじめに」「方法」「結果」「考察」という表現方法になじまず、「こういう経験をしたので、このような改善をしたらこういう成果が得られた」という「物語」形式でないと表現できないことを強調している点である。
○これはイギリスでは10年以上前からQuality Improvement Report「質の改善レポート」として定式化されていた。私も(!)「物語として生まれる仮説群の職場における代々の伝承による質的研究の大切さ」は常づね感じていた。
病院管理の分野では、「数字に表せなければ改善はない」などと教育している向きもあるようだが、それは全く違うということである。
○標語1:「To Err is Human」邦訳「人は誰でも間違える」
Institute of Medicine(米国医療研究所、こんなぶっきらぼうな名前の役所があるのだろうかと思ったら、「米国学術会議 医療部会」のことだった)1999
○標語2:「Crossing the Quality Chasm」邦訳「医療の質の谷間を超えて」
前に同じ 2001
○ヒント:「20 Tips to Help Prevent Medical Errors」 医療事故を防ぐための20のヒント AHRQ(Agency for Healthcare Reseach and Quality 米国保健福祉省の「医療研究と質担当庁」)
2000
患者さん向けのアドバイス、あるいは安全における患者と医療機関の共同としてこれは大切なので全部記録しておこう(野田改変)。
①医療事故を防ぐのに役立つためにあなだができることは、あなた自身がチームの一員になることです。
②確かめてみましょう―あなたに関わる医師が、あなたが使っている全薬剤を知っているかどうか。処方された薬だけでなくOTC薬、サプルメント、ハーブも含みます。
③確かめてみましょう―医師があなたのアレルギーや薬の副作用歴を知っているかどうか。
④確かめてみましょう―医者の処方箋のコピーを読める形でもらえるかどうか
⑤依頼しましょう―処方された薬を自分に分かる言葉で説明してくれるように。それは病院と薬局の双方で。
⑥質問しましょうー薬局で受け取るとき、これは本当に自分の薬なのか?
⑦質問しましょうー薬袋に書いてあることのどこかに分からないことがあるとき
⑧頼みましょうー水薬の場合の計量法ト使い方
⑨頼みましょうー副作用情報の文書
⑩選びなさい―自分に必要な手術を数多く手掛けている病院を
⑪聞いてみましょうー自分に触れるすべての職員に、手を洗ってきたかどうか
⑫質問しましょう―退院時に家庭での注意事項があるかどうか
⑬確認しましょう―手術を受けるとき、関係する医師全員が同意見で、かつなにをするかがはっきりしているかどうか
⑭はっきり話しましょうSpeak up ―質問や気にかかることははっきり話しましょう
⑮確認しましょう―自分の担当者は誰であるか
⑯確認しましょう―あなたに関わるすべての職員があなたの健康上の重要なところを知っているかどうか
⑰頼みましょう―家族や友人に代理となって何かしてもらったり、はっきり言ってもらったりを。
⑱知りましょう―「もっと、もっと」がいつもよいとは限らないことを。・・・これは少しわかりにくい。
⑲思いこまないでおきましょう―検査を受けたとき、何も言われないことは良い結果を意味するとは。
・・・「検査結果説明の説明を医師が忘れている時も、結果が良かったと思いこまず、忘れずに自分で聞いたほうがよい」ということ
⑳学びましょう―自分の症状や病気について医師や看護師に尋ねたり、その他の信頼できる文献にあたって。
○標語3:「Speak Up」はっきり言いましょう
JCAHO(Joint Comission on Accrediation of Healthcare Organaization アメリカの病院機能評価機構)2002
S:疑問や心配は声に出して
P:治療に関心を払いましょう
E:病気、検査、治療について勉強しましょう
A:家族や友人に相談しましょう
K:服用している薬について知りましょう
U:きちんとした医療機関を選びましょう
P:治療方針決定に参加しましょう
○大阪大学病院 医療安全に患者が参加するための「いろは歌」7題2008 これは素晴らしい。瞬く間に全国に普及するに違いない。
「い」今一度 自分の名前を伝えましょう
「ろ」廊下は意外に滑ります スリッパやめて 夜も安心
「は」歯は外したら容れ物へ 大事な体の一部です
「に」二度三度尋ねることも遠慮なく 治療の主役はあなたです
「ほ」ほっとする相手に話そう 不安な気持ち
「へ」変だな?と思った時は確認を 薬は正しく飲みましょう
「と」とっても大切 次の診察 いつですか
この7題が1年かけて選ばれ練り上げられた。
全入院患者に、このカードと解説用紙が配られ、専任スタッフが説明にあたっている。アンケートでは「に」が人気。
○診療行為に関連した死亡の調査分析「調査に携わる医師等のための視点・判断基準マニュアル案」2009
最も重要なことは「評価は事前的視点で、再発防止は事後的視点で」ということ。
医学的評価は、事前的視点のもとに診断・治療法選択・治療手技・患者管理の4段階で行うが、どんな段階でも正解は一つでなく「正しさ」には幅があるという認識が重要である。
その幅は、たいていの場合公式の診療ガイドラインの示す幅に一致するが、それ一辺倒になってもいけない。本当の幅は「合理的な説明が可能かどうか」ということである。たとえば窒息のとき、ピンク針を喉に何本も突き刺して気道を確保することはガイドラインには載りにくいが、たいていの医師は合理的だとするものである。
したがって評価の言葉の中に「・・・すべきであった」はなるべく使わないようにしなくてはならない。それはたいてい事後的視点の混同による誤った姿勢である。
「今回の選択は不合理ではないが、・・・していたら不幸な結果を避けられた可能性はある」という言い方になるべきだろう。
*福島県立大野病院事件の事故調査報告書では事後的な視点で「べき」が多用され、正解は一つしかない立場での評価が重ねられた。その結果、過失を病院が認めたとされて警察の捜査、検察による起訴となったのである。判決にあたった鈴木裁判長の理性的判断でようやくその誤りが正された。
これに対して、再発防止策の提案は、事後的視点による。このとき、「再発防止の提案をする」ことが「過失を認める」こととは違うことを明記しなければならない。
医学的な評価と再発防止は違う視点で記述されていること、「再発予防策は結果を知ったうえでの振り返りであり、医療評価に適用できるものではない」ことを報告書にしっかり書きこめばそういう誤解も避けられるだろう。
○不合理な「苦情」は人の関わりを求める心の叫びであることもある
特に孤独な高齢者、障害者、貧困にあえぐ人の場合、病院に持ち込む苦情がその人に許された最後の関わりであることもある。そういうマイナスの関わりでも、「人と話したい」という正当な要求が込められているのである。
○東大病院の掲示
「患者の権利」の掲示の横に「患者の責務」
「ご自身の健康に関する情報を提供して下さい」あたりまえ
「迷惑行為を慎んでください」えっ?
「診療費をお支払い下さい」そこまで?
「守れないときは医療提供できない時もあります」
上の7とは矛盾するがどんな病院も苦労しているのだから、私たちも弱音は吐けない。
○苦情は分類してみると気が楽になる
X軸 共感しやすい―共感しにくい、Y軸 具体的に解決できる―具体的に解決できない で4領域を作る。①納得解決領域、②割りきり解決領域、③聞くだけの領域、④逃げ出したい困難領域ができる。
なぜ、こんなものを作るかというと、苦情を聞く自分を客観視するためである。自分を客観視するだけで、合理的行動に一歩近づくことができる。「本当に④困難領域なのか、自分がそう思い込んでいるだけではないか?」などとつぶやいて、「やっぱり④だ、黙って休暇をとるか、さもなくば誰かの助けを借りよう」、となる。
○児玉弁護士による最終章も深い余韻がある
とくに註3にひそかに書き込まれていた「カート・ヴォネガットとゼンメルワイス」の話:
ゼンメルワイスは、1847年に産婦の死亡は医師の手洗いによって激減させられると主張したが、時代はウイルヒョウの細胞病理学全盛の時代で、医学界に全く受けいらられることなく精神的にも異常をきたして不遇の死を遂げた。彼が評価されるのは、ウイルヒョウの細胞病理学時代が終わって、コッホの感染症時代が始まってからのことである。
このことについて、小説家カート・ヴォネガットは遺作「国のない男 A Man Without a Country」2007NHK出版で書いている。それは私たちの日常、医療の臨床含めて、数知れぬ無名のゼンメルワイスによって支えられている、ということである。
私たちは、自身がゼンメルワイスであることを望みこそすれ、恐れてはならない。
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