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2011年1月16日 (日)

今週末の出張・・・立岩 真也・岡本 厚・尾藤 廣喜  『生存権――いまを生きるあなたに』2009 同成社、国立西洋美術館:アルブレヒト・デューラー版画・素描展≪デューラーと雪舟の類似≫+常設展の変化=ハンマースホイを購入していた

1月13日から15日まで東京に会議で出張。

出張から帰った後で、1月12日が母の10年目の命日だったことを従姉からの手紙で指摘されて思い出した。道理でその日の朝早く父から電話があったのだ。父は何も言わずに今年は雪が多いとという話をしただけだった。

それだけ自分の出張と仕事に注意が奪われていたわけだが、日本の医療の民主化の見通しがなんとも不透明になってきた感が深いので、それも仕方がないのではないかと思う。

民主化運動が不透明になってきたのではない。医療を包む日本社会全体の未来像が不透明になってきたのである。これを転換期というのだろう。

それ自体は別に悪いことではない。新しい展望が開ける直前の暗さや迷いであることは確実だからである。

しかし、そのさなかの会議の議論は辛い。会議に提出されるのが、旧態依然とした方針書だと、つい言葉がとがってしまう。

医学生との交流。医師と医学生の自然態の会話を多くしよう、でいいのか。医療が変わっていく先を見据えた語り方を磨く必要はないのか。

病院事務職員の役割。医師との関係だけに集中していればいいのか。病院に働く人々全体の関係性を作り変えなければ、何が変わるのか?

そんな発言をする私自身が、残りの医師生活の展望を見出しかねている。

例えば極東最大の米軍基地を抱える街になろうとしている岩国に自分自身が積極的にかかわるかどうか決めかねている。

何もかもうまく言葉に乗せられない。なにをしゃべっても空転する感じだ。

会議が終わった15日の午後、気分を変えて、16日で終了する「アルブレヒト・デューラー版画・素描展」を見に国立西洋美術館にいく。16世紀はじめのドイツの雰囲気が少し想像できる。同時期の有名な学者エラスムスが、自分の肖像画をばら撒いて自己宣伝するのに熱心な俗物だったことが分かって面白い。

おそらく大はずれなのだろうが、デューラーの版画と雪舟の水墨画は似ていると思う。宗教的な画題と切り立った岩山への好み。ともあれ両者の時代は近い。

久しぶりに常設展に回るといくつか新しい展示があった。ハンマースホイが1点、2008年購入と書いてある。拾いものをした感じ。

帰りの飛行機では、前の日に買った、立岩らのインタビュー本「生存権」を読み終わる。立岩は、憲法25条の保障する「最低限の文化的で健康的な生活」の「最低限」は要らないという。私も同感である。国際人権規約が保障しているのは「最低限」でなく「到達可能な最高水準」の健康である。「最低限」を、「最低限の国の責務」と読み替えることによって、25条を生存権から健康権の条文にしたい。それは私の思いで、立岩のものではないが、意を強くする。

それから生活保護の現状の不条理の解決に粉骨砕身している弁護士尾藤が、かって厚労省の官僚だったころ、医療費自己負担が大きく40万円もの収入があっても10万円未満しか手元に残らない透析患者世帯に生活保護を適用しようとしてかなわなかったので、工夫の末、一定限度以上の自己負担をなくす高額医療費制度が生まれたと打ち明け話をしているのも面白い。

「世界」編集長・岡本も話がはっきりしていて良い。きちんとした社会保障をするには増税だ、所得税の累進課税と法人税をまず上げろ、消費税に手をつけるのはその後だといっているのも私と同意見である。

それらを読み終えて再び「正義論」の続きに帰ったころ、飛行機がゆれ始める。時速400Kmという西風を正面から受けているためである。周囲の乗客の中には真っ青になって頭を抱えている人もいる。

そうとう遅れて山口宇部空港に着くと、記録的な全国的な寒さの中で、かなり激しい雪吹雪が待っていた。

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