眼科患者となって
薬物過量服用の救急患者さんの処置をしていたら、昏睡だと思っていたのが突然暴れ出して振り回した手が僕の左眼を直撃した。痛くてしばらくうずくまっていたが、視力は変わらなかったのでそのままにしていた。
それから1週間して、大腸内視鏡をしていると、左側に目を向ける度に、視野の外側に稲妻が走るのに気付いた。そしてまもなくかって経験したことのない大量の黒い点が視野の中を舞う飛蚊症(ひぶんしょう)が始まった。
昼休みに近くの眼科医院を受診。歯科と口腔外科(唾石症)以外では成人して初めての患者経験である。
問診表を見て、受付の人が「うちでは労災は扱っていないのですが」と言う。「法人理事長だから、労災保険の対象外とされているので大丈夫です」と返事したが、「大丈夫」というのはなんだか変だと思った。やはり、僕のような、事実上の勤務医、法律上の雇い主は十分に社会から保護されないのである。
散瞳して検査用コンタクトレンズをはめて眼科用ビデオ三面鏡で精密な眼底検査をしてもらう。眼球打撲によるのため網膜と硝子体の剥離が進んだが一部は癒着したまま残ったので、眼球を動かすたびにその部分で網膜が引っ張られて僕には稲妻が見えるのである。網膜裂孔形成→網膜剥離と進む可能性は少ないと説明されて安心して帰った。
しかし、その後タクシーに乗ると、振動するたびに、稲妻と飛蚊症がすごい。「そのうち治ります」という眼科の先生の言葉にすがりついている感じ。視野いっぱいに広がる飛蚊症だが、静かにしていると見えなくなる。
午後は外来勤務に戻る。左眼の視野を常時気にしながら診察を進めていると、冒頭の患者さんがまた薬を飲みすぎたので搬入したいという話が来た。歓迎する気分ではなかったが、受け入れるつもりで様子を聞くと、意識はあって、受診なんかしないと大暴れしているらしい。「それは僕では無理だ、まだ昼間だし、主治医のいる病院に頼むように」というとそういう運びになった。
*その後、日本眼科医会のサイトを見て自分に何が起こったのかようやく正確に理解できた。下に引用しておく。要するに、≪眼球の打撲 → (打撲でも生理的加齢によっても生じる)後部硝子体と網膜の間の剥離 → 硝子体と網膜の薄い部分間はまだ癒着している → 眼球運動の度に癒着部位の網膜が引っ張られ光ったように感じられる(「光視症」) →一方、どこかで微細な網膜裂孔を生じて硝子体成分が網膜の裏側に入り込み激しい飛蚊症も合併 → そのうちに完全に網膜と硝子体が分離し光視症は消失 、一方裂孔は自然修復し、飛蚊症もゆるやかに減退≫だったのだろう。
引用(改変部位あり)
「眼内には網膜に接して存在する、卵の白身のような透明なゲル状のゼリーのような液体があって、これを硝子体といいます。硝子体は、加齢とともにサラサラした液体とベトベトとしたゲル成分に分離していきます。
そのうち後方の網膜からゲル成分の硝子体が離れていきます。これを後部硝子体剥離といいます。その際に網膜裂孔を伴うことがあります。
後部硝子体剥離は50歳以上で生じることが多く、それ自体は加齢による生理的変化で問題はありません。
しかし網膜の一部がひっぱられる状態が長く続くと、そこにできた網膜裂孔から硝子体の液体成分が神経網膜の裏側にまわり、神経網膜が網膜色素上皮から剥離していきます。これが網膜剥離です。このとき飛蚊症が激しくなります。
また、後部硝子体剥離や網膜剥離は加齢による変化以外にも、眼球の打撲・強度の近視などで急激に眼球が変形して発生することがあります。若い人の網膜剥離は、外傷やこのような網膜変性によって起こる場合がほとんどです
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コメント
精神病患者でしょうか。私も精神障害者なので、立場が分かります。
東京では「仕事上のウツ」と「入院経験のある患者」が同じ神経科で見る事になるので、神経科が混雑しています。「完全予約制」が基本です。
自殺未遂を「しないと」、刑事的な事件に「ならないと」神経科受診に結びつかないのが現実です。
一方、目のほうは良くて、アトピーの「ステロイド白内障」さえ乗り越えれば、何とかなりそうです。
投稿: 豊後各駅停車 | 2010年12月11日 (土) 12時59分
飛蚊症なのですね?
こんな状態で本業へ差し支えないでしょうか?
「メスを捨てた」とかいう医師はこういう事件が
きっかけでメスを捨てるのでしょうね。
投稿: たまだ | 2015年6月 6日 (土) 20時45分