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2010年12月21日 (火)

12/21朝日新聞の大江健三郎・・・戦争と暴力の予感・・・いまこそ「チボー家の人々」を読み直す時だ。

今日の朝日新聞「定義集」で、大江健三郎さんは沖縄に暴動がおこることを案じていた。県民集会で示された理性の力が暴動を抑え込んでいるという厚い信頼が結論ではあったが。

この情勢下でもう一度米兵の犯罪があれば、普天間基地のゲートが群衆の手で破られるだろう、普天間基地が人々の手で直接奪還されるだろうと考えたのは、この夏の池澤夏樹さんである。

上のことは、民衆の理性の問題だが、現在の政府をかろうじて支配している理性からほんのひとまたぎのところにある反理性でおこることには何があるだろうか。

尖閣諸島に自衛隊を常駐させることは簡単だ。国後・択捉に自衛隊を上陸させることも不可能ではあるまい。

思うに、戦争は満州や北支が欲しい1930年代の関東軍がおこすだけのものではない。隣国の膨張政策が国民の不安を煽れば戦争を誘導して政権を取ろうとする政治家はきっと現れる。「戦争は嫌いだが、自分の国が侵略されるのはもっと嫌いだ」というのが多くの現代日本人の感情であり、それが巧みに利用される。

1945年以降のすべての時代を見てきたわけではないが、おそらく今こそが日本国民が最も好戦的になっている時代だろう。

そういう時は、それに被害をこうむる人たちも暴動に傾きやすいし、それが呵責ない弾圧と虐殺を招くのも間違いない。大江さんが恐れているのはそれだ。

戦争が中東の遠いところで砲声を響かせているときに平和を唱えることほどたやすいことはない。戦争がまさに自分たちの社会の中に溢れ出すときこそ本当の平和運動が必要になるときである。

1910年代、ジュネーブでレーニンとすれ違いながら「彼と私たちは違う」といい、(パイロット〉と一緒に飛行機に乗り前線に反戦ビラを巻いて死ぬ青年の物語を僕たちは思い出さなければならない。今こそ「チボー家の人々」をもう一度読み直す時だ。

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