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2010年12月28日 (火)

佐伯啓思『日本という「価値」』NTT出版2010・・・僕たちとどこが違うのだろう?・・・普遍的な価値を認めるかどうか なのか?・・・中国やロシアに追い詰められた小国日本が「第二の満州事変」を起こす可能性・・・*107ページの「社会学化」という言葉はいかにも奇妙だ、誤訳だろう

宇部国際ホテルの安いビジネスマン向きランチを食べながら、渡辺 治さんは、僕が始めた柄谷行人に関する話には興味を示さず、唐突に「佐伯啓思などの言うことに耳を傾ける価値はあります」と言った。

雑誌「諸君」や「正論」の新聞広告で名前を見かける右派の論客である。「コミュニタリアンとしての彼の主張は面白いですよ」

あまりに意外な成行きだったので強く印象に残った。

それでもアマゾンなどでわざわざ彼の本を探して読む気になれなかったところ、12月23日、大阪への日帰り出張で、新大阪駅の出口にある本屋でサンデルや「正義論」や加藤周一と並んで上記の本があるのに気付いて、つい買ってしまった。

帰りの新幹線で読み始めたが、小泉構造改革に反対する主張は鋭く、たとえば50ページ

「個人の能力は、他者との共同の中で発現する社会的なものだから、すべての成果が彼個人に属するわけではない」という言葉などは、僕の思いと完全に一致する。

僕たちと佐伯啓思はどこが違うのだろう。

ページをずっと繰っていくまでなかなかわからなかった。

彼は企業の社会的価値を重視したドラッカーに賛成し、株式会社の株主主権論に反対する。国民の生活状況の悪化を何とかくい止めたいと願う。「労働」「土地」「貨幣」の市場化・商品化に規制が必要だという。「国民主権」の中に潜む排外主義を警戒する。172ページ、「本当に必要なのは冷戦以降の世界状況の中で日本の立場を明確にすること」「アメリカ従属的な『戦後日本を終わらせること』」も文脈から見て反論する気になれない。

182ページ「いかに改憲派で戦後憲法など認めないなどという人がいても、現憲法や下位の法体系のもとで生活を守られ、言論活動していることはまごうことなき事実なのである」という個所などには僕は拍手してしまう。

186ページの「保守の精神」4点も大切な視点である。「理性万能主義への強い懐疑と『歴史的知恵』の重視」・・・これは、ある時代の認識には限界があるのだから、もうこれ以上は実践するしかないと、10月革命に乗り出したレーニンとどこが違うのだろう。「具体的で歴史的に生成したものへの愛好」・・・机上の空論より具体的な事柄への精通を重視し、同時に歴史的に考えたレーニンもこうだったはずである。

「個人よりも、個人を結びつける多様なレベルの社会的共同体の重視」も、個人の健康法・生活習慣より、社会の共同体性のなかに健康の鍵を見出す社会疫学と一致する考え方である。

コミュニタリアン・佐伯啓思は僕たちとどこも変わっていないのである。

*ところで107ページ 「社会学化様式(socializing mode)」という言葉が繰り返されるのは変ではないか。「社会化様式」だろう。もしsociologizing という言葉があるなら「社会学化」といってもいいが。第2刷でもなおされていないということは、「社会学化様式」という言葉が正しいか、著者に友人がいないかのどちらかだ。

しかし、220ページあたりに進むと、違いが見えてくる。憲法の原則である「国民主権」「基本的人権」「平和主義」は無条件に正しいとは言えないと彼が言い始めるからである。

加藤周一さんなどからみれば、多様な価値体系の中に共通する普遍的なものを探究する姿勢を佐伯は欠いているということになるだろう。結局はそこが、僕たちと佐伯を分けるもののように見える。

だが本当にそうか?

「国民主権」「基本的人権」「平和主義」は無条件に正しいとは言えないと佐伯が言うにしても、佐伯は資本主義の利潤第一という本質による憲法の形骸化、あるいはネオコンの世界支配の悪徳を見抜いているだけであり、彼の言う「魂の復興」は、その形骸化や反人間性の世界支配に反対するものである。それを武士道と彼が呼んだとしても、稚気に過ぎず、反対すべきほどのものではない。

そして、最後に佐伯は、中国、ロシア、(インド)の急速な台頭とイスラム諸国の先行きの不透明さの中に世界戦争への可能性と、それに正面から対決しないニヒリズムの蔓延に危機感を表明している。

303ページ「グローバル経済はいわば疑似帝国主義的な様相を見せており、どこかで生じる経済の失調はいっきに世界経済全体を不安定化しかねない状況である。」ことに僕たちも異論はないだろう。

彼が鋭いのは、中国やロシアに追い詰められた小国日本が「第二の満州事変」を起こす可能性について言及していることである。

これは、尖閣諸島や千島に自衛隊を出兵させようとするるポピュリズムの政治勢力が国民の支持をかすめ取ったとき現実化する。

そのときどうするか?佐伯は京都大学教授らしく、「世界史の哲学」を構想した京都学派の中に学ぶべきものがあると言っているが、それはまぁ、冗談だというものだろう。

佐伯の言いたいことは、ヨーロッパから見た「オリエンタリズムのアジア」でなく、自ら作るアジアの平和構想だからである。それは改革された国連やASEANのなかに可能性を見つけること以外にはないのである。

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