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2010年12月15日 (水)

在宅医療の学習:A近藤克則ほか「高齢者の終末期ケア大切なのは『どこで看取るか』ではなく『いかに看取るか』」 中央法規2010と B 日本在宅医学会「在宅医学」2008メディカルレビュー社

民医連で担当してしまった新しい宿題、「在宅医療」の学習中である。
在宅医療から増悪して飛び込んでくる患者さんのお世話ばかりで、在宅医療そのものは10年以上は遠ざかっているので、半分は「畳の上の水練」である。
それでも在宅医療の理念や技術は、病棟医療にもそのまま活かせることが多いので、本は私が引いた線でいっぱいになりつつある。
以下はそのノートの切れ端。

1:緩和ケアの「緩和」パリエーティブpalliativeは本来どういう意味なのか?

パリエーティブpalliative(アクセントはパ)という言葉の pall (元の発音はポール*)から多くの医師に連想されるのは失外套症候群(Apallic syndrome=大脳皮質機能が失われてしまった状態)だろう。ここで外套とは脳を覆う大脳皮質の別名、あるいは比喩なのである。
そこで、palliative というのは「外套を着せている」という意味で、その真意は、寒さが襲ってきたたとき、部屋を暖房するなどという根本的対策はしないで外套を着せて当面我慢させることを意味する。
*外套を意味する古語pallの発音は[pɔ'ːl]ポールである。


2:問題志向型と目標(=ゴール)志向型の違い

私たち医師にとって問題志向 problem oriented であることは比較的新しいテーマだった。疾患だけを治療するのではなく、患者の持つ問題全部に向かい合うという意味でである。

しかし、疾患が治療できない、さらに問題が解決できない、近いうちに死が訪れることが確実だというときには、その姿勢は有効ではない。
その時は、問題をなくすという非現実的な目標でなく、「残された貴重な時間に何をなすべきか」という目標を明らかにしてそのために人、時間、金を組織することが必要となる。これを目標(ゴール)志向=goal orientedというらしい。

問題にしても目標(ゴール)にしても患者と共有することが第一歩である。

*看護師さんは、「ゴールは何ですか」「ゴールをどこにしますか」と医者が決めるのが当たり前のように質問して来てはいけない。「医師としてあなたが患者から感じ取っているゴールは何ですか」という程度であれば応えられる。

*ここまで書いて、日常診療の中で激しく違和感を持つことへの回答が見えてきた。
当直のとき、救命のため緊急入院してもらった患者が超高齢の場合、看護婦さんたちはすぐに「この患者さんはどういう『方針』なんですか」と聞いてくるので、私は相当違和感を持ちながらかろうじて我慢する。
「明日の朝に決まる主治医に聞いてくれ」と答えてやり過ごす。
疾患の治療方針なら、すでにオーダーの形で書いてある。
それなのに「方針は?」などと聞いてくるのは、おそらく上にあげた「問題」や「ゴール」のことなのだろう。結局、「超高齢患者の場合、入院時点ですぐにDNRオーダーを出して自分たちを楽な気分にしてほしい」ということなのかもしれない。だとすれば、それは私が勝手に父権主義的=パターナリスティックに決めてしまうことではない。飽くまで患者と共有できるかどうかで決まることなのだから。

私としては「どんな方針が必要なのか考えてみて」とボールを投げ返せばよいのであろう。
は「その方針って、問題解決のことか、それともゴール設定のことか」と聞き返してもよい。

3:終末期ケアのケアマネージメントと介護保険のケアマネージメントは同じものか?

これは2と同じテーマである。問題解決のためのマネージメントでなく、ゴール達成のためのマネージメントという違いがある。とはいっても、ゴール達成の下位目標としてのさまざまな問題が出現するので問題解決能力は当然求められるのではあるが。そのとき、目標と手段を混同しない冷静さが重要なのだろう。

4:終末期の3パターンと、家族にとってのそれぞれの問題点

①癌 
とくに化学療法など積極的治療をしている場合は、急速な悪化への心構えができていないことが多い。

②慢性疾患
何度も危ないところを助かってきたので今度も治るだろうと思って入院したのに急速に悪化した場合、死を受容しにくい

③認知症と老衰
意思疎通に乏しく、感情的な交流のないままに、先の見えない介護を負担させられるための高度の疲弊

5:「治癒可能な増悪」と「本当の末期」を見分ける力

この力が医師にないと、「みなし末期の誤り」という倫理的問題を出来させることになる。

それを恐れて過剰な治療を行えば、それも患者との合意に反する倫理的問題となる。

医師一人にこの判断を任せるのは過大すぎる期待かもしれない。倫理的問題と考えれば、その判断に倫理チームの介入が当然ということになる。

6:できる医師は「死に関する自己決定」の共有を上手に導いているのか?

世界中のどこでもこれは簡単ではない。

7:終末期ケアは英語では?
 人生の最期をよりよくという思いから End-of-Life care と書く。
 
*ターミナル・ケアという言葉は死のイメージが強すぎて使われなくなりつつある。

8:質の評価にあたっての注意点

それはともかく難しいものである!!

質の評価は①構造 structure  ②過程 process ③成果 outcome の3側面でなされなければならない。

これを私たちの日常用語に言いかえれば、「体制・技術・方法」と「時期分類に沿った途中経過」と「最終的満足感」といってよいだろう。

質の評価をする際は この3側面のどの側面に焦点を当てて評価しているのかを明確に意識し、その側面において質を構成する各因子について評価を明らかにするように努めなければならない。

一般に質を構成する因子は5点あるとされている。A患者(自己決定・QOL・死に行く過程の全般的状況) B家族(負担・死別前後のケア) C患者と家族の両方(希望と満足度) D患者と他者の関係 E行った治療・ケア(その技術レベル、ケアマネージメントの達成度)

さらに、サービス提供者から見た評価と、患者・家族から見た評価は違うので一旦別々に考えてみる必要がある。それは最終的に統合されなければならないが。

9:2007年の在宅医学会総会では「在宅医育成」が議論された。

その中で重要な発言をしている和田 忠志医師は、あおぞら診療所新松戸と同高知潮江を運営しているユニークな人だった。

この人の経歴を調べていると1990年東京医科歯科大卒 みさと健和病院で初期研修、その後みさと健和病院病棟医長を経て 2004年に独立し上記を作り上げている。「労働者住民医療機関連絡会議」の機関誌にも何度か執筆しているのは新社会党系の人なのだろうか。。

もう一人、重要な発言をしている平原佐斗司氏は東京ふれあい医療生協で活躍している人だが、この生協は民医連に関係がなく、一方で、藤沼康樹氏が主宰している「日生協医療部会家庭医療学開発センター」とは密接な協力関係にある。

こうして見ると、民医連の在宅医療はその実力からすると、謙虚=understatementに徹し過ぎている気がする。

上にあげた目だつ人二人も、民医連から離れず着かずなのである。

10:在宅医療には3系列ある。

①病院に準ずる医療を自宅で受けることができる「在宅ケア」。かって往診が普通だったころから、医療全般の「病院化」を経て、病院で得られなかった自由と満足を得るために「在宅」に戻った「在宅医療」

②長期入院が不可能になった結果、余儀なく退院して受ける。
③もっと経済的に困窮し入院を諦めた「在宅医療」。②も③も医療費抑制政策の結果である。

11:幾つかの技術的なこと

①気管カニューレの変遷 ポーテックス社の低容量カフでは気管とカニューレの間に必ず隙間ができる。マリンクロット社のトラキオソフトやスミスメディカル社のサクションエイドなどの低圧大容量カフは気管との接触面積広く隙間が少ない。

②先端が屈曲している吸引チューブの目的は左主気管支に届いて吸引を可能
にするためである。

③尿道カテーテル交換により菌血症を生じるので交換前に抗菌剤服用が望ましい。

④胃管が気管に誤挿入されたことを知る為に呼気ガス検出器「コンファーム・ナウ」という製品が最近発売された。これで誤挿入が早めに発見できる??

⑤排便コントロールは認知症対策の隠れた中心テーマだが、緩下剤としてマグミットを使うことが多い。その副作用は高Mg血症だが、症状は、反射減弱、起立性低血圧、ショック、QT延長である。やはり循環器症状が多い。

Ca拮抗剤は便秘になりやすい。
⑥胆汁排泄で、腎機能が悪くても使用でき、1日1回でいい抗生剤注射としてCTRXがある。

しかし、その他の抗生剤でも、高齢者で腎機能が落ちている場合は1日1回でいいものもある。例えばモダシンは、腎機能が中等度に悪い時は1日1回、とても悪い時は2日に1回使用にしなければならないのを逆手にとって、外来で1日1回、2日に1回で使用することも可能である。

12:せん妄と認知症は違うことをよく頭に叩き込んでおく

夜間せん妄が激しくなったとき「わ、認知が出た!」と意味不明のことをいう人がいるが、そんなことはこれから決して言わないように。

認知症を背景にせん妄は出現しやすいが、全く違うもの。認知症ではすぐに死なないが、せん妄が出現した場合、その背景疾患によっては急速に悪化し死亡する可能性もある。脳梗塞や脳炎など中枢神経疾患、感染などの身体疾患、薬の影響などが原因になっている場合は危険なことも多い。

せん妄自体の薬物療法のエビデンスはまだないので、グラマリールにせよ、リスパダールにせよ、セロクエルにしろ、シプレキサザイディスにしろ保険適応外になる。そしてFDAはこれら非定型抗精神病薬が認知高齢者の死亡率を上げると警告を発している。となると安全なのは抑肝散7.5g/日しかないのか?・・・・ともかくこういう薬を使うときは、保険適応なしということについて家族への説明が欠かせないということ

13:ものものしく取り上げられることが多い「高齢者総合的機能評価 (comprehensive geriatric assessment CGA)」は、結局のところ生活機能評価をおこなっているものである。

生活機能は①ADL、②認知機能、③気分(ムード)、④社会性(家族・友人・仕事との関係性)から構成される。

認知症の症状は生活機能が障害されて顕在化するので、生活の場ではない診察室ではとらえられないことが多い。ごく普通の会話をしている人がとんでもない生活機能障害を呈していたりする。

したがって、医師の印象で認知症がどれくらい診断できるかという設問を別のところでしたのは我ながら全くナンセンスだったとしか言いようがない。

14:左半側空間失認は、右側の大脳の脳血管障害によるとばかり考えていたが、実際にはアルツハイマー型認知症進行例の特徴だった!!

15:認知症ケアの現場では、アルツハイマー型認知症(AD)、レビー小体型認知症(DLB)、前頭葉側頭葉変性症(FTLD)、脳血管性認知症(VD)の4大分類に基づいてケアが組み立てられているので、単なる「認知症」「老人性認知症」という診断名の紹介状、主治医意見書は役に立たないものとみなされる。そういう診断しかできないようでは、認知症ケアの場に参加できないと思わなければならない。・・・というのはやはり言い過ぎか?

また、主治医意見書には、構成障害・失認・失行など生活障害やケアの障害のある(記憶障害以外の)中核症状は必ず書きこまねばならない。そうしなければ、できるはずのない折り紙や絵描きがケアのプログラムに入ってきて、百害あって一利なしのケアを招来してしまうことになる。

16:40歳未満の若年期認知症の人のためのディケア
医療保険で精神科ディケア、重症認知症ディケアが利用できる。

17:独居の認知症患者の難しさ
どこで独居が無理と判断するか?住み慣れた自宅生活への本人の希望が強い中でどうすれば施設収容をスムースに行えるか?

18:BPSD(いわゆる周辺症状)は認知症の何割に合併するか?
世界中どこで調べても8-9割。

BPSDとせん妄との鑑別は難しい。前者は原因が認知症で身体疾患・薬剤・認知症の進行で悪化する。後者の原因は中枢神経系疾患・身体疾患・薬剤である。これまで健康だった人が急に変になったらせん妄と言えるが、認知症患者の異常行動は、どちらなのかすぐにはわからない。

19:モルヒネは肝代謝なのに、腎不全患者で蓄積作用を呈するのはなぜか?→肝代謝産物(M-6ーG)に麻薬作用があり、これは腎排泄だから。
これに対しフェンタニールややオキシコドンは純粋に肝臓代謝なので腎不全患者に使用できる。

20:社会的不利(ハンディキャップ)≒QOLの評価
機能障害検査(主として筋力検査+関節可動域検査)や能力障害検査(≒ADL検査)などに比べて難しいが、Victor という人が考えているらしい(「死と愛―実存分析入門」みすず書房1957)。
①創造価値・・・自ら創造する歓び 
②体験価値・・・他人との交わりを楽しむ歓び(芸術に触れるということも、他人との関係を楽しむということに含まれる) 
③態度価値・・・人としての誇りを維持する歓び
の3領域で人生の価値は構成されていると言え、それぞれを評価するということになる。

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コメント

「精神病」では普通に使っている薬が「認知症」では使えないのですね。
そう言えば、高齢者で身体・精神の障害になった人は、既に「老齢年金」を受けているために手帳申請をしない例が多いと聞いています。
私の場合、代々木病院の中澤正夫医師の2年後退職の通告で、玉突きで主治医の天笠崇医長に集中するので「離院」を決断しました。
と言う事で、明日「年金診断書」を受け取る事になります。自分で区役所に行く反面、患者(年金保険者)が診断書を見る事が出来ます。

投稿: 豊後各駅停車 | 2010年12月17日 (金) 00時41分

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