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2010年11月24日 (水)

戦争の予感―迷惑かもしれないが WHOこそ世界同時革命のである

「2010年11月23日、韓国西方沖の延坪島を北朝鮮が砲撃。100発以上が着弾し、民家が炎上。同島住民2人と韓国軍の兵士2人が死亡。」

この事件の背景は様々に論じられているが、戦争の危険が今の時代のどの時間にも普遍的に存在していることを感じさせた。

第3次世界大戦も中国・インド・ロシアを震源としていずれ発生する可能性が高い。というのは、これらの国はたえず紛争を起こしている上に、これらの国が完全に資本主義に同化したとき、資本主義は過剰に収奪する外側を失うので、もう一度勢力圏の仕切り直しを必要とするからである。

この可能性が信じられない人もいるかもしれないが、たまたま昨日読んだもののなかで次のようなことが書いてあった。→*

昭和11年=1936年、2・26事件の前年に島崎藤村はブエノスアイレスで開かれた第14回国際ペン大会に日本ペンクラブ会長として参加したが、第2次大戦勃発を何とかして防ごうとするヨーロッパの文学者に対して「第2次大戦が起こることなど考えられない」と話しているのである。彼がその後戦争協力に向かったのは当然だが、第3次世界大戦の可能性を考えられない人は島崎藤村とあまり変わらない結末となるだろう。

戦争の空気は地球上に遍在している。しかし、それは同時に革命の可能性も遍在していることを意味することを強調したい。

その革命とは、戦争を内乱という別の戦争に転化させたレーニンとは違って、資本主義戦争の危険性を根本的に絶つことなのである。

そして、その革命の主役は柄谷によれば国連である。国連の中でもWHOなど人権・健康に関連した部門がの役割を果たす。戦争の対極にある、静かな静かな理性的な革命の予想。

マイケル・マーモット、リチャード・ウイルキンソンらWHOに拠点を置く社会疫学研究者は、人間の健康にとって最も重要な要因は平等だということを証明した。人間は平等でなければ健康ではありえず、アマルティア・センのいうように人間社会の進歩度は平等の程度で測定されるのである。

ウイルキンソンは、人間は平等になるように進化していると言いきっている。

そういうWHOこそが、資本と国家の横暴を規制して戦争をあきらめさせる主役になるのは至極当然で、同じく柄谷によれば、国連全体がWHO型になったとき第3次世界大戦を最終的に防ぎきるという世界同時革命が実現するのである。

まぁ、こんなことを言っていると、渡辺 治さんあたりからは、雑駁きわまる議論に熱中する21世紀の原始人扱いされることは必至なのだが。

*「私の信条 」  宮本百合子

・・・エディンバラで開かれようとしている、国際ペンクラブの年次大会・・・。日本から行った阿部知二、北村喜八の両氏はこんどこそ、かつて島崎藤村がヴェノスアイレスのペンクラブ大会へ行ったときのようには振舞わないだろう。藤村は世界の文学者がこぞって反ファシズムの文化闘争を決議したその大会で、終始、日本の文学者として反ファシズムへの態度を明瞭にしなかった。日本の文学者として、日本と世界のヒューマニティーに対する自己の責任を回避した。・・・・・・

 六月二十五日、朝鮮に動乱がひきおこされてから、日本のジャーナリズム、新聞、ラジオなどの上で平和と原爆禁止についての発言は、何となし「こうなっては、仕方がない」という風に扱われはじめた。・・・・・・・原子兵器を全人類にとっての癌たらしめまいと奮闘する仕事を中傷するものがあるとすれば、それは、自分も死ぬことを知らないで、ほくそえみながら厖大な棺の注文を皮算用している棺桶屋ばかりである。 (1950年10月)

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