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2010年11月16日 (火)

もはや悪い天気というものはない

色を落とした落葉樹が朝の光の中に立っているのを見たりすると、その景色を通じて自分がこの世界に愛着を覚えているのをふと自覚することがある。

それは、格別に晴れた、冷たい朝の透明な空気の中で、老いた樹が燃えているのを見るといった詩的なものである必要はない。今日のように厚い雲が空を覆って、光はその隙間から洩れでているだけで十分だ。

確かめていないのでうろ覚えだが、加藤周一さんがフランスのある老文学者の手紙を引用したことがあったように思う。

「悪い天気が続くが加減はどうか」という若い友人の手紙にその老文学者はこう返事したのだ。 ― この齢になると、もはや悪い天気というものはない、どんな天気でもいとおしい。

そのことを思い出しながら、考えは飛躍する。

誰かを「上手に」看取ることができたなら、看取られた死者は満足し、看取った者のその後の人生も豊かになることを当然の目標として、「質の高い終末期ケア」を実現する社会的条件を探る仕事を始めた。

しかし始めた途端に、その作業を無にするような思いに取りつかれてしまったのだ。

生死の別れはそれだけのものだ、何をしようとそれ以上のものにもそれ以下のもにもならない。なにかの工夫で別のものになる、すなわち、何かの工夫でいつまでも死者が誰かの胸で生き残ると思うのはすべて幻想にすぎない、と。

ならば、どういう死であっても、死に行く人の世界への愛着が一瞬そこに生まれれば・そのこと以上のものを望む必要はないのではないか、と。

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