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2010年11月29日 (月)

脳死臓器移植を主題にした生命倫理学会に行ってみる

少し古い話になるが、11月20日、東京での会議から帰る途中名古屋によって、藤田保健衛生大学を会場にした日本生命倫理学会年次総会に参加した。

JR名古屋駅から少し歩いて名鉄名古屋駅にいき、豊明行きの急行で前後駅に降りる。ここから名鉄バスに乗るといくつものバス停で止まった後、藤田保健衛生大学病院に着く。

大学病院はドームやピラミッドや池や滝のある怪しい建物群である。なんとなく北海道・芦別の「北の京」に似ている。そこにはとんでもなく大きい五重塔や三十三間堂、タージマハール(すべてホテルとして使用されている)があり、近くの大仏に行くにはモノレールに乗るのだったが。

その中を迷いながら奥に入り、たった2時間のシンポジウムを聞くために会場費8千円を支払う。以前、わずか10分間滞在したある学会の総会に3万円払ったことに比べると安い。

シンポジウムの座長はこの大学の病院長がしていたが、外科の医師で、どうしたら脳死臓器移植が日本で増えるかを熱心に考える人のようだった。

シンポジストは7人。

①南カリフォルニア大学で活躍する日本人移植医。アメリカでは移植待機者が実施者の数十倍に達するらしく、臓器不足は著しく、むしろ生体移植が増えている。日本からの渡航者を受け入れる余裕はない。

②同じ大学病院のER部長。救命に全力を挙げながらも、臓器提供の手はずを整えていくのはとても難しい。臓器提供の可能性が出てきたら別チームが担当してほしいと強調。

③岡山大学医学部の生命倫理の教授。山口県美祢市の出身で、宇部短大や徳山大学の教員だったこともある人。私とほぼ同意見。今回の法改定の最大の誤りは自己決定の原則の放棄。加えて「誰にも臓器提供の義務はないし、臓器提供を受ける生得的な権利もない」とクリアに言い切った。

④この問題を専門とする評論家。脳死判定の困難さを説明。

⑤名古屋のジャーナリスト。歯切れ極めて悪い。ジャーナリストは自分の意見を言おうとするとたいていつまらなくなるものだが、その典型。

⑥息子さんを交通事故で亡くしたが、本人が残したドナーカードによって心臓死後に臓器提供した年配の男性。死亡宣告を待つ家族のいる部屋にむき出しのクーラーボックスを持ったチームが詰めかけてきたことに強い違和感があった。「せめて花で飾ってほしかった」。そういえば、最近TVでみたクーラーボックスには花束が結びつけられていたが、これはこの人の意見によるのか。息子が最後にそのような善行をなしてくれたことが親としての誇り。息子を失った後の立ち直りにそれがどれだけ役に立ったことか、そのことを講演して歩いている。私には、そのことを支えにしないでいられないことが、グリーフ・ケアの不足を思わせれらた。

⑦10年前献腎移植を受けた30歳の女性ピアニスト。透析から解放されて未来が広がった。御遺族には手紙を出し続けている。(その後の懇親会で演奏予定)

全体として、脳死臓器移植に慎重であるより、積極的に推進していこうという立場での運営であり、私としては③のシンポジストが、山口県出身でもあるらしいので、また別の機会に話を聞こうと思った。

帰りは前後駅までタクシーに乗った。構内を複雑に走行して一般道へ。

「なんだか病院の中をグルグル回りましたねぇ」というと

「いつ来ても新しい建物ができていて、道路が単純じゃないんですよ。わざわざ変な道を通っているわけではありません」と運転手さんは少し腹を立てていた。「この大学は、ともかく豊明市の名物だから」

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