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2010年11月 9日 (火)

昭和38年の大晦日

今朝は奇妙な夢を見て目が覚めた。

夕暮れ、電気もついていない、誰もいない病院の廊下。薄いカーペットを床に敷いて僕の両親が座っている。白衣の僕が来るのを待っていたのだ。だが、どうしてそこにいるのかと訊いても要領を得ないことを二人は言い続ける。

実は母親は2000年に死んでいる。父親は最近脳梗塞を患ったがまだ独り暮らしをしている。そのあたりを背景にした心細さが夢全体の色調だった。その心細さは僕のものだったか、父親のものだったか。

その夢がしみついている気分のせいで、若干の病院での朝の行事出席をやめて仕事に支障が出ない程度に遅く出勤する。時期が早すぎる凄まじい季節風で、坂道を自転車が降りて行かないなかをゆっくりペダルを進める。

だが、病院に着くと、今日は午前中の内視鏡検査の予約をむやみに詰め込みすぎていた。午後3時に検査がようやく終わった。しかし、休む間もなく午後の外来に取り掛らなければならない。体力も使い果たした状態でまともに診療する気がしない。くどい物言いをする患者さんについむかっ腹を立ててしまって言葉がきつくなる。それがまた自分のやる気を損なうという悪循環に陥ってしまう。

結局、午後6時頃診察室の椅子に座ったまま少し眠る。

「弁護士さんが来ました」という声で目が覚めると、4人の弁護士が狭い診察室に入ってくる。椅子の用意もないので二人は診察用のベッドに腰掛けてもらう。じん肺裁判の準備で、僕が書かなければならない意見書の概要を決めているとすぐに2時間近くたっていた。

午後8時過ぎてyoutubeで美空ひばりの「津軽の故郷」を聞く。ついでに昭和38年の紅白歌合戦の美空ひばりの「哀愁出舟」という歌も聞いてみる。

思い出した。昭和38年の大晦日はもうすぐ中学受験を控えていたので、12時を回って若水を汲んで神棚に上げた後、母に勧められて、一人でお宮参りに出かけたのだ。父は自分が宮司をしている別の神社に行っていた。

まだ歴史的な豪雪が続いていたころで、道は雪に埋もれ、道の両側にも除雪を繰り返してできた高い雪の壁があった。長靴を雪に抜き差ししながら夜道を歩いた。

お宮に行く道の半分までいくと小学校の担任だった河野先生に会った。先生はもう初詣の帰りだった。新年の挨拶をすると、「野田君の合格もお祈りしておいたよ」と先生は言った。

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