「ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」国立新美術館
11月19日、出張中の昼休みに国立新美術館に30分間だけ立ち寄った。
充実した展示をまさに走るように見て、午後の会議にはちゃんと間に合って遅刻しなかった。
そんなことだったので何も感想を述べる資格はないのだが、製紙工場の女工を描いたエッチングが数枚あり、ゴッホの生きたフランスがマルクスやエンゲルスも観察した19世紀資本主義さなかのフランスだったことを改めて感じた。
ゴーギャンが株の仲買人をやめて画家になったのもエンゲルスが関心を寄せた1882年の金融恐慌が原因だった。それを考えると、彼らの仕事も単に美術史の諸流派の影響の中で眺めるのでなく、フランスの経済・政治史の中で考えないと理解できないことが多いだろうとは想像される。当時の政治的諸事件にゴッホやゴーギャンがどう反応しているかを調べてみたくはなった。
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