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2010年10月 1日 (金)

私たちの意識とは無関係に戦争は私たちの隣にいる・・・雑誌「世界」2010年10月号: 「佐久間智子「国連における『水と衛生に対する権利』決議の意味」、柄谷行人インタビュー「平和の実現こそが世界革命」など

②柄谷行人インタビューがあったので、たまたま「世界」の10月号を買ったのだが、25ページの①「佐久間智子「国連における『水と衛生に対する権利』決議の意味」に眼がひきつけられた。医療従事者にとってもきわめて重要な事項を取り扱っている。

①:世界には安全な飲み水を得られない人が8億84百万人、水洗トイレが使えない人が26億人以上いる。そのなかで1992年国連の「水と環境に関する国際会議」は水道事業の民営化方針を決めてしまった。以来、世界銀行の貧困国融資も水道民営化を必須条件とするようになった。

そのため南アフリカでは、水道料金が払えず水道サービスを受けられない人が激増して2000-2001年に大規模なコレラ流行が起こった。

世界の民間水道市場を握るのはフランスの、「スエズ」と「ヴェオリア」という会社であり、彼らが「世界水フォーラム」を支配している。

それに対抗して2010年の国連総会は、ボリビアからの提案で「安全な飲み水と基本的な衛生施設を利用することは人権である」という決議を採択し、日本は棄権した。

*その後目にしたところによるとヴェオリア社は2006年に広島市の下水道処理を委託されるなど日本にも進出している。また日本における上下水道の民間委託は22件に及んでいる。

私が以前このブログにも仮訳を載せていた、2008年のWHO「健康の社会的決定要因委員会」レポート第2章にも水のことは書いてあった。

「委員会は特定の公共財やサービスを基礎的な人間的・社会的ニーズと見ている ―たとえば清潔な水や医療保健制度である。これらの公共財やサービスは支払い能力に関係なくどこでも利用できなければならない。この場合は、だから、適切な供給と利用を保障するの公的セクターであって、市場ではないということである。

最近の数十年において、グローバル化のもとで市場への統合は増大した。それは公共財やサービスの商品化を加速しながら進んだ。それらのうちいくつかは疑いもなく有害であった 。

図《ヨハネスブルグの水の値段》
補助金によって40KL/月を超えれば料金頭打ちという制度になっている。これでは富裕層を助けるだけで、実際に彼らは水を使い放題にしている。その一方で、貧困層は少量の水使用にもかかわらず高い料金にあえいでいる。

対策としては40KL/月までは安く、それを超えると急に料金が上がるようにするのが望ましい。貧困層の使用は補助し、大量の水使用を妨げることになる。」

これは果たして実施されたのだろうか、実施されないまま、大規模なコレラ流行がおこり、30万人近くが感染し、貧困者300人が死亡するという危険はまだ残っているのだろうか。

②:さて、問題の柄谷インタビューだが、世界資本主義の終焉とそれから免れるための第3次世界大戦の見通しがそれなりのリアリティをもって語られている点が興味深い。

日本を含む多くの国が経験した、あるいは中国やインドが経験しつつある高度成長は、大量の自給自足的だった農村人口が賃金労働者となって都市に流入し、自らが工場で生産したものを購入することで大きな市場を生み出すことによって成立した。

彼らが基本的消費財、すなわち家電製品、自動車、住宅を購入し終わった時高度成長が終わるのは、日本の例で考えるとよくわかる。

つまり、資本主義の外にあったものが次々と中に取り込まれることで資本主義の成長があったわけである。

しかし、最後の巨大農村地帯、中国とインドが脱農村化を完了した時、資本は、搾取すべき外側を失う。同時に資源の枯渇、環境破壊の極限が見えてくる。

この3者がそろうと資本主義が終焉する客観的条件が成熟する。

しかし、その現象はどの国にも大量の失業者があふれ、国家間はエゴで対立するという状態である。ここから、何かの方法で新たな消費と生産を実現し、閉塞状態に陥った資本主義を再編成して、新たな搾取カースト、あるいは搾取ハイアラーキーを作り出そうとする動きは当然出てくる。

それが第3次世界大戦である。

私たちは、よく20世紀が戦争の世紀であったといい、その記憶が、多くの文学や運動を生んだ、そしてまた日本が一歩一歩戦争する国に近づいていると発言する。

民医連も20世紀の悲惨な戦争の記憶の容器だと私も言ったことがある。

そして21世紀を真実の平和の世紀にしようという決意で締めくくる。

しかし、そのとき、本当に第3次世界戦争がおこることがありえると見通しているか?戦争は実は自分に関係ないことと、本音のところでは安心していなかったか。

子供さんを9.11で亡くした下関の中村 佑さんや尖閣諸島の事を例に挙げるまでもない。私たちの意識とは無関係に戦争は私たちの隣にいるのである。

そのとき、戦争を起させないために重要なものが二つあると柄谷は言う。

まず憲法9条の文字通りの実現である。柄谷流に言えば贈与・互酬の高度な表現としての戦争放棄が9条である。

そして、それに続くものとして贈与・互酬のより高度な表現としての国連の強化がある。

実は、この国連の強化を柄谷は「世界同時革命」と呼んでいるのである。あまりのことに腰が抜けたり、桂三枝のように椅子から転がり落ちる人もいるかもしれないが、私自身は妥当で好ましいと思う。

なんといっても、柄谷が憲法9条が大切だと言っているのである。数年前、山口で話をした時、小森陽一氏が、私の質問に、迷惑だという表情をあらわにしながらも、基本的に柄谷と自分の考えは一緒だと言っていたのは嘘ではなかったのだ。

もしかすると、9条の会の講演会に柄谷氏が登場する日が来るかもしれない。

それから、最後に、国家による富の配分に過度に頼らず、社会的に非資本主義的な経済を実現することが、資本主義が延命しないために、当面一国内での努力として重要だと説いているのは、私たちの非営利・協同セクター強化の方針と一致する。

ただし、柄谷は、「資本主義を超えていくという姿勢をもたないものが、社会民主主義的な福祉国家を唱える」と蔑んでいる。

ここら辺りが、渡辺治・後藤道夫らの新しい福祉国家像とどう関連するのかは定かでない。

新しい福祉国家は、何よりも戦争への国民の協力の見返りとして社会保障を約束するという大西洋憲章型の旧い福祉国家を否定する点で新しいのである。この点では、国家の存続を必須なものと考える社会民主主義は乗り越えたものだと思えるのだが、それにしても福祉「国家」という、名称を残している。

しかし、その「国家」は、「資本」を強制する存在という意味しかなく、国民から収奪したうえで再分配することを本質とするという柄谷の国家像とは大きくずれるので、必ずしも否定しあうものではないはずだ。

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コメント

この記事、面白かったです。構造主義的なマルクス理解という意味で柄谷は一つの方法を示しているように思います。

投稿: とおりすがりの民医連職員 | 2010年10月22日 (金) 13時05分

コメントありがとうございました。

なぜフランス唯物論はそうならず、カントやヘーゲルのドイツ古典哲学のほうがマルクスの哲学的源泉になったのかを説明している鰺坂 真さんの本を読んでいます。

こういうことへの興味も柄谷を読むまでは湧いてきませんでした。

投稿: 野田浩夫 | 2010年10月22日 (金) 18時13分

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