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2010年9月22日 (水)

メモ 新しい民医連綱領の解説 私版 #4

第3章 民医連医療理念の構造試論

①なぜ私たちは「医療と福祉は無差別平等でないといけない」と主張するのか?不破哲三「マルクスは生きている」2009平凡社新書マルクスの三つの顔  唯物論の思想家 資本主義の病理学者 未来社会の開拓者 。柄谷行人「トランスクリティーク」岩波現代文庫2010

「資本の自己増殖の運動はいかなる危機を伴おうとも止むことはない。それを止めるのは倫理的介入のみである。 (441ページ)」「私の企ては『資本論』をいわば陣地戦のための論理を与えるものとして読むことだといってよい。(500ページ)」

ジョン・ロールズ19212002 正義論 第一原理  各人は基本的自由に対する平等の権利をもつべきである。第二原理 第一原理により生じる社会的・経済的不平等は次の二条件を満たすものでなければ許されない。 ①公正な機会の均等という条件のもとで、生じたものであること。(機会均等原理) ②それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること。(格差原理)

私達の正義論

 他者を手段としてのみでなく目的として扱うこと(カント、ロールズ、セン)  他者の幸福追求が、自分自身の幸福追求となった(肥田舜太郎)

私の自由と他者の自由は同じ重さだから、人間は平等だ。

アマルティア・センが「人権とは、法律問題でなく社会倫理上の問題である。 法律は、その実現のための一つの方法、あるいは過程に過ぎない。」といったのを思い出してほしい。

しかし、能力による不平等は根強く残る。「努力による成果の報酬は当然だ」

社会主義運動内部でも、かっては「資本主義からの移行の直後の共産主義社会の低い段階では『各人は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る』、そして将来の共産主義社会の高い段階になって初めて『各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」とされていた。

その努力や、その成果は本当に個人のものか?

かならず『各人は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る』そして『各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」の2段階を経なければならないのか?当初から、能力や環境は自然の贈り物にすぎず、それによる処遇の違いはあってはならないとする主張はあった・・・エティエンヌ・カベ「イカリア国旅行記」

そして、そう考えない限り、障害者の平等な権利を主張できない

新しい平等論が提起されている=能力の共同性に立脚した平等論  竹内章郎

能力の共同性の意味するもの・・・個々人の能力は個人の所有物でなくその成果は社会で共有されるべきものだ。 能力は自然の贈り物で、それによる処遇の差はありえない

附:映画「おとうと」の感想

寅さんを現在の格差社会の滑り台の上に載せると、「おとうと」の鉄郎になる。

「自己責任ではないから救済されるべきだ」→ならば自己責任なら救済されなくてよいのか?

人間であるというただ一点だけで人間は平等に扱われ尊重されなければならない。

たとえ自己責任で身を持ち崩し健康破綻に追い込まれた人であっても、援助の手を差し伸べる人を期待することは人間だれしもに与えられた権利なのだ

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