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2010年8月14日 (土)

「脳」「大脳」第一主義、能力私有主義に対抗するには

お盆の休みをつぶして、ようやく岡山のNPOから依頼された改正臓器移植法に関する記事の原稿を書き終えた。

この原稿を書き始めたころは満月で、夕方に丸い月と木星が並んで東の空に見えていた。その後、しだいに木星と左側だけが光る月が離れていって、新月となり、今日、日が沈んだ西の空を見ると、右側だけが光る三日月が見えた。東の空には木星はまだ見えなかった。要するに2週間以上かかったということに過ぎないのだけど。

書きながら気づいたことは脳死臓器移植のレシピエントも、エンゲルハートら「パーソン論」者たちから見ると、「自由な人格」ではなく、従属した不完全な人格であると言うことである。単独には救済する対象としては不足すると言うことである。

したがって、脳死者の臓器がレシピエントに臓器移植されることは、決してエンゲルハートらの本意ではない。

自由な人格の家族として、自由な人格の心を煩わす限りにおいて救済する対象となる。そのとき、必要な費用は裕福な自由な人格が負担するのは当然である。それを負担できないものは「自由な人格」としては二流だし、臓器移植が必要な家族を持ったことを契機に不完全人格に転落するのもやむをえないことである。

そして、脳死者の利用法の本流は、臓器移植ではなく、自由な人格にとってもっと有効なところにある。脳死者が多数並ぶ工場からは、合成が難しい抗体やホルモンが大量生産されるだろう。また薬剤の治験を一手に引き受けるラボになるかもしれない。医学生の解剖の教習所としても有効である。「自由な人格」はもちろんその工場やラボや学校の所有者なのである。

エンゲルハートが考える人間の序列(自由な人格、従属した人格、人格を失った保護すべき存在、臓器提供のみで社会参加できる存在)は、大脳の状態によっている。言ってみれば「大脳」第一主義であり、これが脳死臓器移植を是認する根拠的思想になっている。

「脳」第一主義の本質は能力第一主義ということである。自由な人格に分類される人々も能力によって無限に序列付けられるので、最終的には自由な人格であることを失う。加齢が無慈悲にもほぼ全員を自由な人格クラブから追いだしてしまうからだ。

能力第一主義のもとでは人間は不幸になるように運命付けられているように見える。

こうした事態がなぜ起こるかをよく考えてみると、能力が個人の所有になっていることに行き着く。

人間の序列に反対するにも、低い序列に起こった差別が高い序列に及ぶので反対するというのは有効でない。それはエンゲルハートらの唱える序列の存在を肯定することにしかならない。

したがって、本当に人間の序列に反対するとなれば、能力の私有自体を否定しなければならない。それが、人間の平等を唱える上の必須条件である。

それはすでに1845年にエチエンヌ・カベーが「イカリア旅行記」で、個人の能力は自然の贈り物に過ぎないから、それによって処遇が変わることはありえないと書いていたことである。

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