省察・反省・振り返り
50歳代の女性の大腸内視鏡検査の申込書に「昨夜急に腹痛と血便」とあった。
先日、「急な腹痛と血便」という訴えで来た70歳代男性の糖尿病患者さんの重症な虚血性腸炎を診断したことに影響されたのだろう、私はすぐに、この女性も虚血性腸炎だろうと目星をつけて検査を始めた。
実際には、虚血性腸炎はなくて、大腸憩室からの出血だった。
改めて、患者さんに聞いてみると、腹痛は一瞬のチクッとしたものだったし、排便のための努力もなかったとのこと。
振り返れば、問診だけで虚血性腸炎でなく、大腸憩室出血らしいことは予測できたはずである。最近の経験による思い込みと問診不足で目星を間違えた。
こういう小さな省察・反省を繰り返すことで、臨床実践家としての私の毎日が成り立っている。
しかし、この話を書いたのは、別の目的がある。
一見賢そうな「振り返ってみましょうね」という声を医療現場の私の周囲でよく聞く。(自己顕示的な、あるいは自意識過剰の、やさしげで賢こげな振舞いをみせる女性に激しく嫌悪感を持つという私の偏向がここですでに現れていると反省されるのではあるが)
だが、その方法論は明確に意識されているだろうか?
振り返る、ということが「省察・反省」を意味するのは間違いがないが、それは結局、事前の判断と事後の判断の差異を測定することなのである。
そこで言いたいのは、事前の判断がないと、振り返り・省察・反省は成り立たないということである。
何かをするとき、自分の判断を可能な限り、論理的な言葉で表現しておくこと。それがないと、その後に反省しようにも何を反省していいか分からない。
これは産業現場でよく言われるPDCA(プラン・実践・チェック・判定)サイクルそのままである。
難しく言えば、仮説演繹法である。
大切なことは自分の行動を一つの仮説としていつも意識しておくことである。すなわち「仮にこう考えているからこう行動するのだ」と自分を客観視することである
それは二つの意義がある。
一つは自分の行動を絶対に正しいと思いこまない謙虚さが生まれてくるということ。もう一つは、事後に反省することがそれで初めて可能になるということである。
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