40年目の合同クラス会・・・ 「比叡おろし」を歌う精神科医 と沖縄で反基地闘争する弁護士
広島にある母校、修道中学ー高校の40年目の合同クラス会があったので広島に日帰りした。
1学年450人中170人が、まずはすっかり様変わりした学校の見物に集まった。
知り合いに出会うかどうか不安だったので、最初に、広島で往診専門に開業しているT君に会ってほっとする。
早くから来ている何十人かは猛暑の中、サッカーに興じていた。
その後、新しい校舎の見学という順番だったが、僕は暑さがいやだったので、年老いた卒業生のために冷房を効かせてくれていた生徒用食堂で一人の時間を過ごした。
まさにそのように協調性のないところが中学1年当時から自分に備わっていたことをまざまざと思い出した。
講堂でのセレモニーのあと場所を移動してホテルで懇親会をしたのだが、その間40年ぶりにあう人たちはほとんど分からない。
意外な人が声をかけてくれたり、まだ小説を書いているのかと尋ねてくれる人もいた。逆にこちらが記憶しているのに、なかなか僕を思い出してくれない人もいた。
改まった自己紹介の場面もないので、テーブルの周りの人たちだけと話したが、一つ発見があった。
以前、「比叡おろし」をyoutubeで探していると、外科手術用の下着を着て、病院の物置に違いない場所で、ウクレレの弾き語りをしている奇人としか言いようのない人の動画を見つけたことがあった。http://www.youtube.com/watch?v=Z5RJmRj8fF8
その時は、なんだか高校の同級生に似ている人だなと思いながらはっきりしなかったが、今日、その男が同じテーブルで僕の横に座った!僕より5,6年後に京都府の医学部を卒業した精神科医である。
訊いてみると
「あっ、見つけられた?松岡正剛の作詞作曲なのでうたってみただけだよ」と言っていた(しかしyoutubeでは、まつしたせいごう、と間違って前口上を言っていたよなぁ)。なぜ精神科医が手術用の下着を常用しているわけ?
それから、今はカリスマ理学療法士となってNHK教育にもよく出演している三好春樹さん(この人は1学年上)と一緒になって校舎封鎖をし、機動隊導入のきっかけを作った同級生、よく肥った子供だった(それしか記憶にない)三宅君に会った。
彼はその後、苦学の末に弁護士になって沖縄在住で活躍している。沖縄の米軍基地被害問題では、いつの間にか僕たちと協力する関係になっている。
最近、石川民医連の服部先生が沖縄の米軍基地周辺住民の健康調査のため、沖縄の弁護士に会いに行ったことも知っていた。もちろん協力するつもりだと言った。
高校生時代に、周囲の学生運動からどう影響を受けたかという違いなど、時間が押し流してしまっている。
| 固定リンク
コメント