井上ひさし「一週間」新潮社2010・・・①レーニン像や天皇制論が変②主人公のモデルの一人は石原吉郎か?
2010年に死亡した著者最後の長編小説。2000年から2006年にかけて雑誌連載されたものを、著者の病気のため加筆・訂正せずに出版したものである。そのため、冗長さが免れないものになっている。
また、ストーリーが面白いかというと疑問である。
満州にいた日本軍のシベリア抑留と強制労働をめぐる日本とソ連の駆け引きや強制収容所の実情を知るには優れている。
高杉一郎「極光のかげに」岩波文庫1991、「スターリン体験」岩波同時代ライブラリー1990などとあわせ読めばよいと思える。なお、主人公の東京外大・京都帝大卒という経歴の、東京外大というところに注目すれば、主人公のモデルの一人は、高杉の本にも登場する詩人・石原吉郎ではないだろうか。・・・ちょうど小松美彦ほか編「いのちの選択 今考えたい脳死・臓器移植」をテキストに学習会を開いている私にとって、このことは見逃せないことでもある。というのは。哲学者・小松氏に、脳死・臓器移植にここまで真剣に取り組ませているのは、石原吉郎の格律である「人間は死んではならない」だからである(川本隆史氏による)。
しかし、作品の鍵になる「レーニンの裏切り」と言うのが腑に落ちない。
レーニンの出自、特に祖父が少数民族の血を引く人であったことはべつに秘密でもなんでもない。246ページに書かれているようにレーニンがそれに劣等感を抱いていたという話もありえないだろうと思われる。また革命直後の戦時共産主義の明らかな誤りの中で、「社会主義の利益が諸民族の利益に優先する」とレーニンが発言しても、それはレーニンの堕落とまではいえない。堕落したのなら、なぜネップで復活できたのだろう。
スターリンとレーニンの同一視もこの本では一貫している。
さらに、戦前の共産党の方針「天皇制打倒」が、スパイに操られた戦前の共産党と、日本の情勢を誤解したスポンサー・ソ連共産党との合作による「暴走」だとする(135ページ)とするのもずいぶん変だ。
不破哲三・井上ひさし「新 日本共産党宣言」光文社1999でも、著者は同様の話をし、「天皇制打倒というコミンテルンの指令がなければ戦前の運動はずいぶん違ったものなっただろう」(96ページ)と述べているから相当確信を持っていたのだろうが、賛成はできない。
1945年の敗戦とともに君主制である天皇制は破綻して、1946年には国民主権の日本が生まれたのである。そのときから日本はもはや君主制の国などではない。象徴としての天皇がいることと、日本が君主制=天皇制国家であることはまったく違う。
とすれば、戦前の日本共産党の目標である「天皇制打倒」は、1922年の共産党の創立からわずか24年後の1946年には実現したのであり、戦前の共産党が、次の時代の原則として「天皇制打倒」を唱えたことはまったくまちがっていなかったといえる。
井上ひさしの小説らしい巧みさはもちろんふんだんにあるが、迫力ある日本軍のシベリア抑留・強制労働の不当さの解明と、あやふやなレーニン論・日本共産党論の二つが溶け合うことができず失敗作に終わっている、というのが私の結論である。
もちろん、重い病いを得た著者の晩年の条件の悪さがその原因であり、著者の果たした役割からおもえば、多くの人が愛惜を感じてやまない作品であり、読まれなければならない作品であることは当然である。
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