喫煙はシングル・マザーの安価なアヘンであり、利潤追求は資本家の不治の妄執である
よくもこんな馬鹿らしい標題を思いついたものだと我ながら思うが、考えたことのメモ代わりとして残しておくことに。
表題後半は重大な真実であるが、当面は対句としての意味しかない。
「『シングル・マザーの幻想的幸福としての喫煙を廃棄することは、シングル・マザーの現実的幸福を要求することである。』(ME全集第1巻、にはそんなことは書かれていない)
喫煙をどんなに理論的に批判しても無駄である。それは社会実践として解決されるほかはない。」
深夜にこんなことを書いていると、自分を21世紀にタイムスリップしてきたマルクスだという妄想を持った病人に仕立ててしまうことになりそうだが、実は、いま読みかけの柄谷行人「トランスクリティーク」の一節をちょっと書き換えてみただけである。
とはいえ、医師としての私の日常生活ではこんな簡単なことも理解されないことが多い。
喫煙の結果、肺癌になるのは自己責任だと思い込んでいる医師がどれだけ多いことか。
さて、それは横において、私の新しい課題をメモしておこう。マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」について、不破哲三さんと柄谷行人氏の読み方がどう違うか比べてみるというものである。
これもまた、とんでもない馬鹿らしい思い付きなのかもしれないが、「ほとんど変わらない、おそらくここ50年のうちに両者ともが変化した結果なのだろう」というのが、これを思いついた時の私の仮説である。
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