ロバート・B・ライシュ「暴走する資本主義 Supercapitalism」東洋経済新報社2008
ずいぶん前に旧友A君にいただいたものである。著者はクリントン政権で労働長官を務めた経済学者。
ようやく全部目を通せた。
というのは、柄谷行人もスラヴォイ・ジジェクもライシュも資本主義の変化を同じようにとらえているので、それに気づくことで、資本主義内部からの発言であるこの本もなんとか理解できるようになったのである
3人の共通理解というのは、最近の資本主義は、生産過程を主体にした産業資本主義から、技術革新と投機に偏った別の資本主義に変化したということである。
以前とは全く様相を変えた技術革新は、まったく新しい商品(デジタル革命、知的コンテンツの商品化=iPODや3DーTVなどかな?)を開発して特別剰余価値を作り出し、またこれまでにない規模で生産性を飛躍的に向上させて(半導体チップを従来の数倍のスピートで生産できる工場などかな?)大きな相対的剰余価値を作り出している。
これは価値体系の時間的差異が大きくなり、その差異を利用した流通から得る利潤が極大化することを意味する。
*また、彼らは触れていないが、格別に賃金の安い地域を見つけてそこで生産することは厳密な意味では違うが、絶対的剰余価値の創出に近い。これは、あとで述べる投機資本主義による価値体系の空間的差異の利用と同じである。
こうした生産形態、とくに新商品にすべてをかけて特別剰余価値を狙う、という場合では、売れるか売れないかの不安定さはかってなく高まり、資本家や商品の流通場面での命がけの飛躍が深刻になり、その結果として、消費者の役割が大きく見えるようになる。「消費者主権」や消費者の良心をくすぐる「文化資本主義」の必要性がここから生まれる。(「コーヒーの倫理」を売るスターバックス!!)
そして、これらの生産形態が大きな部分を占めるに従って、従来型の、大きな固定施設を準備して十年一日のごとく同じ商品を生産する産業資本主義的生産は急速に時代遅れになる。
また、IT技術の進歩により、通貨圏ごとの価値体系の空間的差異を利用した利ざや稼ぎ、流通過程でのみの利潤獲得も容易になり、これが利潤の大きさでいうと生産場面での利潤獲得をはるかに上回る。「マネー資本主義」の誕生である。
柄谷に言わせれば、マルクスが労働力商品を購入する生産過程でのみ剰余価値が創出されると考えたのは間違いで、いまや、産業資本主義以前の商人資本主義に類似した利潤獲得のほうが主流として復活したということなのである。3人は共通してここに注目する。
そうして古い産業資本主義には議会制民主主義と福祉国家が照応するが、技術革新と商人的投機が中心になった資本主義では、議会制民主主義の空洞化と、国民生活の格差の激化が照応する、ということを主張する。
では、この事態をどう突破するか。もちろん3人の処方箋は大きく違うが、ともかく人間の復権、民主政治の復権、特に流通の規制という点では一致する。
ただし、具体的な方法はまだまだ読み取れない。
ライシュの「『法人』に人格を認めるな」、「大企業のおためごかしの文化性(企業の社会的責任=CSR)の欺瞞をあばけ」というのは感情としては理解できるが、実際には、彼らを野放しにするものでしかないだろう。
柄谷のいうような「協同組合からコツコツと」という、なんだか西川キヨシをおもいださせる革命戦略は、スラヴォイ・ジジェクにとっては愚直を通り越したお笑い草なのだろうが、私にはいちばん身近に感じる。なんといっても日本的・箱庭的革命論だからだろうか?
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